アラヴェルジからマルシュルートカで世界遺産ハフパット修道院まで移動
、1階で朝食を頂きます。欧米人2人組がいましたので1階に宿泊していたようです。英語で話しているのが聞こえなければ住民と間違えていました。
、標高720mのアラヴェルジ中心部のバス・タクシー乗り場にやってきました。ハフパット(HAGHPAT)行きのマルシュルートカが停車しています。
見えにくいですがHAGHPATと英語表記もされています。
車内に時刻表があったので確認しておきます。
時刻表
- ハフパット(HAGHPAT)行き
,,,,,,, - アラヴェルジ(Alaverdi)行き
,,,,,,,
時刻表は2種類あって右側のは本数が少ない時刻表です。アルメニア語が分かりませんのでいつ本数が少なくなるかは不明です。
時刻表
- ハフパット(HAGHPAT)行き
,, - アラヴェルジ(Alaverdi)行き
,,
09:04、乗客が集まりましたので出発します。運賃は200ドラムになります。今回のアラヴェルジから世界遺産ハフパット修道院のルートなどは以下の通りになります。実際にGPSで計測したルートです。
世界遺産ハフパット修道院(Haghpat Monastery)
、標高1000mのハフパットに到着です。マルシュルートカの終点は世界遺産ハフパット修道院(Haghpat Monastery)でした。すでにドイツ人2人組がガイドに連れられ見学中です。他には観光客が見あたりませんのでほぼ貸し切りです。
あいにくの曇り空なのですが観光客が少なく静かなのはとても良いですね。ハフパットもサナイン同様に断崖の上にある村になります。ハフパット修道院は観光客が少ないという情報を得ていましたので本当に静かです。ゲガルド修道院とは全く雰囲気が違います。観光客よりツバメの方が圧倒的に数が多いです。修道院といっても修道士はおらずツバメの営巣地となっています。
ハフパット修道院は3つの教会(St Nshan Church、St. Gregory、St. Astvatsatsin)、図書館、写字室、十字架(Khachkar)、鐘楼などで構成され、初めに10世紀中頃の976年にアルメニア国王Ashot IIIの妻であるKhosrovanushにより建設されます。同時期にサナイン修道院も建設されています。聖ニシャン聖堂(St Nshan Church)がハフパット修道院で最も古い建物で976~991年に建設され、1005年には聖グレゴリウス教会(St. Gregory Church)が建設され拡張されていきます。
天気が曇りですので修道院の内部から先に見て回ります。修道院なのですが修道士はおらず博物館として公開されております。まずは礼拝堂へ入っていきます。
礼拝堂は静寂に包まれ外とは空気が違います。
修道士はおりませんので日曜日だけ出張ミサとかやっているのでしょうか?
こちらは写字室になりますが床に壺がいくつも埋め込まれており何のために利用していたのでしょうか?
アルメニアの教会でよく見かける十字架(Khachkar)でArmenian cross stoneとも呼ばれ石に十字架と模様が美しく刻まれております。
曇り空だった天気が晴れてきました。ようやく撮影の機会が訪れました。
こちらは1245年に建設された鐘楼です。
曇り空から青空に変わり修道院を一周して見て回ります。
Kayan Fortress
、世界遺産ハフパット修道院からKayan Fortressへ向かいます。ハフパット修道院→Kayan Fortress→Akner村→サナインまでトレッキングです。
、標高780mの谷底の石橋を渡ります。
、Kayan Fortressが見えてきました。
、標高865mのKayan Fortressに到着です。Kayan FortressはKayan Berdとも呼ばれハフパットとサナインの中間あたりにある要塞と修道院の遺跡です。修道院のDsevank monasteryは13世紀の1233年には存在しており要塞はそれ以前の建設とも考えられております。現在は小さな礼拝堂が残っています。
草に覆われていますが草に覆われずに見える城壁の一部がここが要塞だったことを物語っております。
Kayan Fortressは断崖絶壁の上にあるので目的地のサナイン村が見えます。ちょうど奥の赤丸の部分がサナイン村です。サナイン村も断崖絶壁の上にあります。
、Kayan Fortressからサナイン村を目指しますが、まずは中継点になるAkner村へ向かいます。要塞から見える一番近くの村なのですがご覧のようにこちらも断崖絶壁の上にあります。尾根沿いに歩いて登るしかなさそうです。
Kayan Fortressからサナインまでトレッキング
、標高827mまで下がって標高910mのAkner村の崖先端まで登り切りました。38m下って83m登りました。崖の上は草原になっており奥にAkner村が見えます。崖が近いので草原の部分は建築制限でも敷かれているのでしょうか?
、サナイン村へ続く道路に出ました。ここからはもう楽勝です。
後ろを振り返ると崖の上のAkner村が見えます。よくここに村があるものだと不思議に思えます。昔から外敵の侵入を防ぐには最適の場所だったのでしょう。
、サナイン村から3番バスでアラヴェルジへ戻ります。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 1440ドラム | – |
交通費 | 200ドラム | アラヴェルジ→ハフパット |
交通費 | 100ドラム | 路線バス |
合計 | 1740ドラム | – |
2018年6月12日
アラヴェルジは銅山の町
、3番マルシュルートカでサナイン村へ向かいます。
、サナイン村に到着します。運賃は100ドラムになります。
、サナイン村の絶壁にやってきました。眼下にはアラヴェルジの銅精錬所が一望できます。ソ連時代から続く銅山でアラヴェルジの基幹産業になります。
銅山の頂上には十字架が立ち精錬所の煙が上っています。
サナイン村の絶壁の近くにはソ連時代の団地があり、もちろん人が住んでいます。アラヴェルジとサナイン村の標高差は300mぐらいあります。
世界遺産サナイン修道院
、世界遺産サナイン修道院にやってきました。一昨日に続いて2度めの訪問です。入場料が無料でなければ2度も訪れることはないでしょう。
平日ですので観光客はすくないようでガイドに連れられた欧米人を数人見かけるぐらいです。
おかげでほぼ貸切状態で世界遺産を見学させて頂きます。
暗い修道院の中に十字架の彫られた石(Khachkar)が飾られています。
こちらは礼拝堂のようですが内部には明かりはなく暗い礼拝堂を外からの光のみが照らします。
修道院の床には石が敷き詰められているのですが、これは墓石です。
こちらは人形が彫られた墓石で年代も古そうな感じです。よく見ると19世紀の墓石も床に敷き詰められており比較的新しい時代のも使われているようです。
天井部分には明り取りのための穴があり、暗い修道院の中を照らしています。
天井からの光が柱に刻まれた十字架を照らしています。
礼拝堂は外からの光が僅かに差し込むだけです。一昨日の日曜日は観光客が訪れていたのですが、平日は誰もおらず静かです。
礼拝堂の一角には聖母マリアの絵が掲げられています。
昼過ぎになると大型バスでツアーの団体客がやってきました。エレバンを朝出発してアラヴェルジに昼頃到着のようです。ドイツ語が聞こえてきますのでドイツ人のツアー客のようです。
団体客がやって来ましたので修道院の外へ出て少し離れた場所を見学して回ります。少し離れた場所にもサナイン修道院の一部になる建物があります。こちらはSt. Harutiun Chapelになります。
サナイン修道院は修復工事が行われるようで足場が組まれておりました。
、サナイン村のバス停に戻ります。サナイン修道院は一通り見学しましたので3番マルシュルートカでアラヴェルジへ戻ります。
12世紀の石橋サナインブリッジ(Sanahin Bridge)
、サナインブリッジ(Sanahin Bridge)にやって来ました。アラヴェルジの峡谷を流れるDebed Riverに架かる石橋で12世紀後半の1195年に造られました。日本は鎌倉時代に入った頃になります。このサナインブリッジはアルメニアで4番目に古い橋のようです。1位から3位にはKapan Medieval Bridge(871)、Lori Berd Bridge(11世紀)、Garni Bridge(11世紀)があります。
800年以上前の橋ですが問題なく歩いて渡れます。鉄筋剥き出しのソ連時代の橋とは訳が違います。しっかり作ってあれば数百年以上使用可能なのですね。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 1240ドラム | – |
交通費 | 200ドラム | マルシュルートカ |
合計 | 1440ドラム | – |