インド最北の州ジャム・カシミール州のラダック地方レーを起点に3泊4日でツォ・モリリ、ハンレ、パンゴン・ツォなどのチャンタン(Changtang)と呼ばれるラダック地方の東部を廻ります。3日目は標高4200mのニョマ村(Nyoma)からハンレ・ゴンパ(Hanle Gompa)、標高4641mのツァガラ峠(Tsaga La)、チュシュル・ゴンパ(Chushul Gompa)に立ち寄り宿泊地になる標高4250mの汽水湖パンゴン・ツォ(Pangong Tso)湖畔のメラク村(Merak)を目指します。
3日目の旅程
ニョマ村(Nyoma)出発
ロマ(Loma)チェックポスト
ハンレ・ゴンパ(Hanle Gompa)
Indian Astronomical Observatory
ツァガラ(Tsaga La)チェックポスト
ツァガラ峠(Tsaga La)標高4641m
チュシュル(Chushul)チェックポスト
チュシュル・ゴンパ(Chushul Gompa)
汽水湖パンゴン・ツォ(Pangong Tso)標高4250m
メラク村(Merak)
*ルートは実際にGPSで収集したデータを使用しています。
ニョマからハンレ、ツァガラ峠、チュシュル、パンゴン・ツォ
、激しい雨の音で目が覚めます。ラダック地方は年間降雨量が少ない地域(レーは年間100mm程度)なのですがニョマではまとまった雨が降っています。明日は晴れることに期待して再び眠ります。
、小雨が降っており天気が悪いです。これだとパンゴン・ツォの天気が心配です。
、朝食にチャパティを頂きます。
、ニョマ村(Nyoma)を出発します。インダス川沿いに東へ進みます。
、標高4150mのロマ(Loma)のチェックポストに到着、ドライバーさんがパスポートとパーミットを持って手続きに向かいます。ここもインド・チベット国境警察(ITBP)が管理しております。このチェックポストが西のニョマ(Nyoma)・マヘ(Mahe)方面、北のツァガラ峠(Tsaga La)方面、南のハンレ(Hanle)方面への分岐点になります。ここでインダス川とお別れになり橋を渡り南のハンレに向かいます。
ロマ(Loma)チェックポストからハンレまでは約50kmの道のりです。道路は舗装されており交通量は少ないので順調に進んでいきます。
ハンレ・ゴンパ
、右手にハンレ・ゴンパが見えてきました。ハンレに到着です。ハンレ村(Hanle)は人口約300人、中国との国境紛争地から約20kmに位置しており、2019年より外国人観光客に開放され入域許可証のInner Line Permit(ILP)の発給開始、ただしハンレでの宿泊は不可とされています。
、標高4330mのハンレ・ゴンパに到着です。
入場料は30ルピー(48円)になります。
ハンレ・ゴンパ(Hanle Gompa)は17世紀創建のチベット仏教カギュ派の分派であるドゥクパ・カギュ派の僧院になります。
歴史のある寺院で仏像や壁画が残っております。
壁画は傷みがかなり酷いので早めに修復したほうが良さそうです。
ハンレ・ゴンパの屋上からはハンレ村が一望できるようになっています。
川の名称は不明ですがインダス川の支流も流れています。この川はロマのチェックポスト付近でインダス川に合流しています。
屋上では僧侶たちも景色を眺めておりました。
Indian Astronomical Observatory
、ハンレ・ゴンパから約3.5km離れた天文台へ向かいます。
、標高4500mのIndian Astronomical Observatoryに到着です。2001年に設立されアメリカ製2m光学望遠鏡のHimalayan Chandra Telescope (HCT)とガンマ線望遠鏡のHagar Telescopeを運用する天文台になり略称はIAOです。
ドライバーさんに連れられ天文台内部に入っていきますが、天文台の心臓部とも言えるアメリカ製2m光学望遠鏡のHimalayan Chandra Telescope (HCT)を見学させてもらいます。天文台の職員の方が英語で説明してくれているのですが英語の出来ない私にはさっぱりでした。
天文台の麓にはガンマ線望遠鏡のHagar Telescopeが設置されていますが、よく見ると工事中のようで工事車両が行き交っています。
ハンレの天気は雨なのですが天文台からハンレの草原が見渡せて一部に青空が見えます。天文台が設置されている場所ですので空気が澄んでいて晴天の日が多いはずなのですが、生憎の雨で残念な観光になってしまいました。
、Indian Astronomical Observatoryを離れ天文台周辺を一周して草原を観光します。
雨が止んで青空が見えてきました。
草原には馬が放牧されているのが見えます。
、ハンレ・ゴンパに戻ってくると羊たちが放牧されています。
ハンレからロマのチェックポストまで来た道を戻りますが、先程まで晴れていたのに雨が強く降ってきました。富士山より高い標高4000m以上の高地で短時間で天気が目まぐるしく変わってきます。
、インダス川の橋を渡りロマのチェックポストに戻ってきました。ドライバーさんがパスポートとパーミットを持って手続きに行きます。ここは行きに通ったチェックポストでゲートが閉まっており、しっかりとチェックポストの機能を果たしています。
ロマのチェックポストが分岐点になっており、西のニョマ(Nyoma)・マヘ(Mahe)方面、北のツァガラ峠(Tsaga La)方面、南のハンレ(Hanle)方面の3方向に分かれており、ここから北のツァガラ峠(Tsaga La)方面へ向かいます。
、インダス川とお別れになり進路を北へ向けツァガラ峠(Tsaga La )を目指します。インダス川上流部はさらに東のチベットから流れており、森格藏布と呼ばれています。ロマからの道路状況は舗装道路ですが修繕はされていない部分がありますが交通量はほとんどありません。
、ツァガラ峠(Tsaga La)のチェックポストに到着、ゲートが閉まっておりドライバーさんがパスポートとパーミットを持って手続きに行きます。今回初めてインド・チベット国境警察の警官が本人の顔を確認しにきました。今までで一番警備が厳しいチェックポストですが、これでもまだ警備は緩いです。
チェックポストを過ぎると完全に未舗装道路になります。道路脇では放牧中のヤクたちを見かけることができ、ようやくチベットらしさ、チャンタン高原らしさが出てきました。
、標高4450mのノマドレストランに到着です。看板にはHOME STAYの文字もあるのでライダーやチャリダー向けに宿泊施設もやっているようです。放牧とレストラン・宿泊施設をやっているのでチャンタン(Changtang)の半遊牧民チャンパ(Changpa)の人たちのようです。
富士山より高い場所に位置する遊牧民のレストランで昼食にメギ50ルピー(80円)、ダル・ライス100ルピー(160円)を頂きます。日本的な考えだと山の上のレストランは価格が高いのですが、ここは富士山より高い標高4450mなのにレーのレストランより安いです。
、ノマドレストランを出発、ツァガラ峠へ向かいます。ツァガラ峠の手前に建物数軒と簡易的ですがヘリポートが見えます。基地と呼べるほどの規模ではないですがインド軍が駐屯しているようです。
標高4641mのツァガラ峠
、標高4641mのツァガラ峠(Tsaga La)に到着です。峠はチベット仏教の祈祷旗タルチョで飾り付けられていますので、ここが峠だとすぐに分かります。
ツァガラ峠を越えて北西へ進むとチュシュル村(Chushul)に抜けられます。
ツァガラ峠を越えると山道から東西を山に囲まれた南北に緩やかな下り坂の土漠といった地形に変わります。道路状況は未舗装道路なのですが、タイヤの轍があるだけでどこが道路なのかほとんど分からない状態です。
、道路が川で分断されており、渡河出来そうな浅い場所を探して慎重に渡っていきます。Google Mapsに載っていないような川が流れておりいかに辺境地域というのか再認識させられます。天気は青空が見えていたのがいつの間にか雨雲に覆われて雨が降ってきました。
川を渡り少し進むと先程より酷くなった川が現れます。ドライバーさんが川の様子を確認して車が通れそうな場所を探します。
再び川を渡り車を進めると先程までの雨空から青空に変わります。目まぐるしく曇り、雨、晴天と目まぐるしく変わる天気に翻弄されているようです。
Rezang La Memorial 13 Kumaon
、Rezang La Memorial 13 Kumaonに到着です。
ここは1962年に勃発した中印国境紛争の記念碑です。中国軍が国境を越えて、このRezang Laまで侵攻して来たのですが、インド軍のクマオン連隊が砲兵の支援を受けられない不利な中でRezang Laを防衛、中国軍を撃退したということです。戦勝記念碑としての扱いなのですが、この中印国境紛争は実際にはインドの敗退で終わり、ラダック地方の一部であるアクサイチン地区を中国に奪われています。
もし、Rezang Laが陥落していたら、そのままラダック全体が中国の支配下になり、レーの町には毛沢東像、チベット仏教弾圧、ムスリムはウイグル人のように強制収容所送りという暗黒時代になったかもしれません。
、チュシュル(Chushul)のチェックポストに到着、ドライバーさんがパスポートとパーミットを持って手続きに行きますが看板が出ておらずゲート無しで外国人観光客がチェックポストだと気付く可能性は低いです。外にも人はおらず警備はかなり緩い雰囲気です。
チュシュル・ゴンパ
、チュシュル・ゴンパ(Chushul Gompa)に到着、建物は比較的新しくゴンパの外と内部で僧侶と村人たちがお経を読んでおります。
古い壁画は見あたらず今までのゴンパとかなり雰囲気が違います。僧侶や村人たちがお経を読んでいて修行中なので雰囲気的には内部は撮影不可なのですが、村人たちから撮影許可を頂いて遠慮気味に数枚撮影します。
バター茶を頂いたので10ルピー(16円)をお布施に置いていきます。
標高4250mの汽水湖パンゴン・ツォ
、チュシュル・ゴンパを出発、北へと進みます。
、本日の目的地パンゴン・ツォ(Pangong Tso)が見えてきました。
*パンゴン・ツォ(Pangong Tso)
標高4250mに位置する全長134km、面積604平方km、最大幅5km、最大水深100のmインドと中国を跨ぐ汽水湖。インド側が塩湖になっており世界で最も高い所に位置する塩湖とも称されます。パンゴン・ツォは西側3分の1がインド、東側3分の2が中国が実効支配している国境未確定地域の紛争地帯であり、実効支配線が暫定国境として湖上に引かれてインド軍が中国を警戒中。2018年にはパンゴン・ツォ北岸でインド実効支配地域に侵入した中国軍とインド軍が衝突する事態も発生しています。
湖南岸に西からスパンミク(Spangmik)、マン(Man)、メラク(Merak)、Kakstetの4つの村があり、Pangong Lake Roadと呼ばれる未舗装道路がスパンミクから湖の南にある峠を越えて南のチュシュル(Chushul)やナマ(Nama)まで続いています。Kakstet村の近くでパンゴン・ツォの湖畔まで行きます。Kakstet村はメラク村のさらに奥(東)にある小さな村でパンゴン・ツォ南岸では最も国境寄りの村です。
外国人は湖南岸のスパンミク(Spangmik)、マン(Man)、メラク(Merak)に宿泊可能、Kakstetはチュシュル方面に抜ける場合やチュシュルからスパンミク方面に抜ける場合のみ通過可能ですが、湖南岸はチェックポスト無しだったのでKakstet村には自由に入れてしまいます。
パンゴン・ツォ湖畔のメラク村
、本日の宿泊地メラク村に到着します。
ホームステイやゲストハウスが数軒あり、今回はDORJAY DELBU GUEST HOUSEに宿泊します。
トイレ付きダブルルームで1泊1000ルピー(1600円)、電気はから供給開始、水道は常時使用可能、シャワーは水だけでお湯はバケツに入れて提供、夕食・朝食付きです。電気はから翌朝まで供給されていました。
夕食までの間にメラク村を散歩してみます。
村の裏手にある山に息切れしながら登りますがメラク村が一望でき、パンゴン・ツォも広範囲で見渡せる絶景です。ただ残念なのが雲が多いことでしょうか。青空なら文句無しなのですけど。
、夕食はダル、ライス、チャパティで味・量とも文句無しです。
美味しくダル・ライスを頂きました。夜は風が強く星空撮影とかできる状態ではないので早々に就寝です。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 150ルピー | – |
宿泊費 | 1000ルピー | – |
ハンレ・ゴンパ | 50ルピー | – |
チュシュル・ゴンパ | 10ルピー | – |
合計 | 1210ルピー | 1ルピー≒1.6円 円換算:1936円 |