シルクロード・中央アジアのウズベキスタン・サマルカンドにやって来ました。青の都と称され世界遺産にも登録されているサマルカンド(Samarkand / Самарқанд)からブハラ(Bukhara / Buxoro)まで鉄道で移動します。ブハラも世界遺産に登録されているシルクロードの歴史のある町です。下記地図のルートは現地にてGPSで収集したデータを元に作成しています。
サマルカンドからブハラまで鉄道で移動
、ホステルをチェックアウトします。チェックアウト時に滞在登録証を発行してもらい受け取ります。滞在登録証は非常に重要でこれがないと次のホテルやゲストハウスで宿泊拒否されたり、出国時に罰金と称してカネを巻き上げられたりします。ウズベキスタンには旧ソ連の悪しき慣習が未だに残っています。近くのバス停から3番バスに乗車して終点のサマルカンド駅で下車します。運賃は1200スム(17円)になります。
、サマルカンド駅に到着です。青の都とも呼ばれるサマルカンドですので駅舎にも青系の色が目立つようにデザインされています。まずは駅の敷地入口でパスポートときっぷの確認があります。
続いて駅舎入口で手荷物のX線検査ときっぷの確認があります。きっぷの裏にスタンプが押されて待合室へ。
待合室には売店、カフェ、銀行の両替所があります。両替所の取り扱い通貨はドル、ユーロ、ポンド、円、スイスフランの5種類、両替レートは1ドル→7830スム、私は4日前に銀行で1ドル→7820スムで両替しているのでレートは悪くありません。
サマルカンドからブハラまで鉄道で移動
今回はサマルカンドからはタシケント発ブハラ行きの列車に乗車します。列車には「東方」を意味するシャルク号 (Sharq / Шарк)の名称が付いておりタシケント - サマルカンド - ブハラの都市間鉄道になります。ブハラにはブハラ1駅とブハラ2駅の2つがありますが、ブハラ駅というと旅客扱いのあるブハラ1駅を指します。
列車番号 | 10 |
乗車駅 | サマルカンド |
発車時刻 | 12:44 |
到着駅 | ブハラ1 |
到着時刻 | 15:09 |
運賃 | 42167スム(603円) |
、ホームへ移動して列車の到着を待ちます。
、ブハラ行きの列車が到着します。客車は160km/hまで対応ですので速度は出せそうです。
乗車口できっぷとパスポートを提示して乗車します。車内は2列+2列の座席で広め、車両中央に液晶テレビが配置されている仕様です。見た目ではエアコンが付いていると思ったのですが意外にもエアコン無しの車両です。天井部分に穴が開いておりかつては空調装置が付いていたと思われます。
、定刻通りサマルカンドを発車します。発車3分で120km/hにまで速度を上げておりウズベキスタンの線路状態は私が予想していたより良好なようです。旧ソ連諸国の鉄道は保守点検が滞っており線路の状態が悪くスピードが出せない路線ばかりでしたが、ウズベキスタンは比較的状態が良いようです。
しかし、1520mmの線路幅なら整備次第でまだまだ速度向上は可能でしょう。エアコン無しの客車ですが窓から心地よい風が入ってきて暑さはしのげます。車内の状況はいくつか空席があり混雑している印象はありません。乗客は寝ているか、スマートホンをいじっているか、お菓子を食べているぐらいで話し声はほとんどありません。
、定刻通りブハラ駅に到着です。
隣のホームにはアフラシャブ号 (Afrosiyob / Афрасиоб)が停車しています。アフラシャブ号はスペインのタルゴ250を採用した最高速度250km/hの高速鉄道車両です。
ブハラはぼったくり路線バスが走っている
ブハラ駅前のバスターミナルにやってきました。ここからブハラ行きの路線バスが出ているのですが、「ブハラ!ブハラ!」の声が聞こえ378番バスに乗車します。そして、お兄さんが10000スムというので払ってしまいますが、ブハラの路線バスは運賃900スムです。よく考えれば10000スムは路線バスの料金にしては1桁多いですよね。ぼったくりタクシーはどこにでもいますがブハラではぼったくり路線バスが走っていました。
バスは旧市街の世界遺産ブハラ歴史地区の近くを通ります。世界遺産ブハラ歴史地区の城塞アークの前でバスを降りて予約している旧市街の南側にあるゲストハウスへ向かいます。
、Booking.comで予約しておいたMekhtarin Guest houseに到着です。部屋は1泊8ドルのエアコン無しドミトリーです。ここのゲストハウスはちょうど夏休み中だったので日本人旅行客が5人ぐらい宿泊していました。夜にタシケントからタイ・バンコクまでの航空券を予約しておきます。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 20000スム | – |
交通費 | 11200スム | 路線バス |
合計 | 31200スム | 1000スム≒14.3円 円換算:446円 |
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
宿泊費 | 16ドル | 1泊×8ドル |
交通費 | 316.8ドル | ウズベキスタン航空 タシケント→バンコク |
合計 | 332.8ドル | 1ドル≒112円 円換算:37274円 |
世界遺産ブハラ歴史地区
ブハラ旧市街はブハラ歴史地区(Historic Centre of Bukhara)として1993年に世界遺産に登録されています。旧市街を散歩してみます
キャラバンサライ
キャラバンサライは旧市街中心部付近にある隊商宿の跡です。シルクロードの交易路上には商人たちのキャラバン隊が宿泊する宿が数多く作られました。ブハラにもかつてはキャラバンサライがあったのですが現在はキャラバンサライと浴場の跡が残されているだけです。
ナディール・ディヴァンベギ・マドラサ(Nadir Divan-begi Madrasa)
ナディール・ディヴァンベギ・マドラサ(Nadir Divan-begi Madrasa)は1622年にナディール・ディヴァンベギによって建てられたマドラサ(神学校)ですが、建設当初はキャラバンサライとして建設していたのですがブハラ・ハン国のイマーム・クリ・ハン(Imam-Quli Khan)がマドラサと間違い建築の内容を称賛したために、そのままマドラサに変更されました。
正面入口には偶像崇拝を禁じるイスラム教の神学校でありながら鳳凰や人の顔が描かれておりイスラム世界でも珍しい例です。
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ(Nadir Divanbegi Khanaka)
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ(Nadir Divanbegi Khanaka)は1619~1620年に建設された巡礼者のための宿泊施設です。
チョル・ミナル(Char Minar)
チョル・ミナル(Char Minar)は1807年にKhalif Niyaz-kulによりマドラサの門として建設されました。チョル・ミナルは「4本の塔」を意味しております。入場料4000スム。
アーク(Ark)
アーク(Ark)は5世紀には要塞としてありましたが、正確な建設年代は不明です。チンギス・ハーン率いるモンゴル軍に破壊されるなど幾度も籠城戦が展開されてきました。ブハラ・ハン国の成立後は歴代ハンの居城となりロシア革命の影響を受け1920年に赤軍によりブハラが陥落しブハラ・ハン国が滅亡、アークの要塞としての役目が終わります。
ボロハウズ・モスク(Bolo Haouz Mosque)
アークの向かいにあるボロハウズ・モスク(Bolo Haouz Mosque)は1712年に建設されブハラ・ハン国のハンが使用するモスクとして運営されてきました。aivanと呼ばれる建築様式で見事な彫刻が施された20本の柱が立ち並んでいるのが特徴です。
イスマイール・サーマーニ廟(Ismail Samani Mausoleum)
イスマイール・サーマーニ廟(Ismail Samani Mausoleum)は892~943年に建設された中央アジア最古のイスラム建築になります。9世紀に中央アジアにあったサーマーン朝の名君イスマーイール・サーマーニーとその父、甥などが祀られた霊廟です。タジキスタンの通貨ソモニ(Somoni)は姓サーマーニー(Samani)に由来しております。
チャシュマ・アイユブ(Chashma Ayub Mausoleum)
チャシュマ・アイユブ(Chashma Ayub Mausoleum)は12世紀から泉が湧き出しており14世紀と16世紀に廟が建てられています。
ミリ・アラブ・マドラサ(Miri Arab Madrasa)
ミリ・アラブ・マドラサ(Miri Arab Madrasa)は1536年に建設されたマドラサ(神学校)です。
ウルグ・ベク・マドラサ(Ulugh Beg Madrasa)
ウルグ・ベク・マドラサ(Ulugh Beg Madrasa)は1417年にティムール朝第4代皇帝ウルグ・ベクにより建設され中央アジア最古のマドラサ(神学校)とされています。ウルグ・ベクはブハラ、サマルカンド、ギジュドゥヴァンの3箇所にマドラサを建設しています。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 35000スム | – |
交通費 | 5000スム | 路線バス |
交通費 | 185000スム | 寝台 ウルゲンチ→コーカンド |
合計 | 225000スム | 1000スム≒14.3円 円換算:3218円 |