マルシュルートカで世界遺産ゲラティ修道院へ移動
、クタイシ中心部の劇場(Drama Theater)裏にきました。ロンリープラネットなどの情報によればコンビニ2店舗ぐらいの広さのDINMARTの前から世界遺産ゲラティ修道院行きのマルシュルートカが、、、、に出ているということですので待ちます。DINMARTは24時間営業のコンビニみたいなので待っている間に食料や飲み物を購入しておくのに便利です。
、ゲラティ修道院行きのマルシュルートカが来ました。
行き先表示には英語表記がありすぐに分かります。
時刻表も貼ってあり、行きのクタイシ発は、、、、、帰りのゲラティ発は、、、、になっています。乗客は20人まで乗車可能。立ち席を入れればもう少し増えます。
、ゲラティ修道院行きのマルシュルートカが出発します。乗客は私を含めて4人です。世界遺産ゲラティ修道院までの道のりの途中で33番マルシュルートカとすれ違ったので途中まで道が同じようです。クタイシへ戻る際に使えそうです。
世界遺産ゲラティ修道院(Gelati Monastery)
、世界遺産ゲラティ修道院(Gelati Monastery)に到着、運賃は1ラリ(45円)です。天気が良く青空が広がっているのですがゲラティ修道院は修復工事の真っ最中で足場が組まれております。
撮影する気が一気になくなるほどの見事な足場です。せっかくの青空なのですが残念です。
ゲラティ修道院(Gelati Monastery)は1106年にグルジア王国のダヴィド4世(David IV)により建設されダヴィド4世自身も死後にゲラティ修道院へ埋葬されています。
外観の撮影は程々にして内部の撮影に移ります。まだ観光客が来る時間帯ではないので聖堂は修道士1人のみで観光客は私だけですので貸切状態で撮影です。聖堂内部は壁画が描かれており状態からしても歴史のある古いもののようです。
かなりの高さがある天井部分にまで壁画が描かれており、ジョージア正教の教会は華やかです。アルメニアで見てきた修道院、教会は内部に壁画が描かれているのはほとんどありませんでした。これはお国柄の違いでしょうか?
天井部分に聖母マリアが描かれております。
壁には多くの宗教画が描かれており、聖書に書かれている場面を表しているのでしょうか?
十字架には蝋燭の火が灯されております。
ゲラティ修道院のある山の上に来ました。修道院の全景がよく見えます。この頃になると観光客の姿がチラホラと見始めます。欧米人観光客がほとんどのようですが一際大きな声の中国人観光客の集団も現れました。静寂が無くなりましたので早く離れたほうが良さそうです。
、世界遺産ゲラティ修道院からモツァメタ修道院(Motsameta Monastery)へ向かいます。朝来た道を戻り標識のとおりに進んでいきます。途中踏切を渡ります。線路沿いに歩いていけばモツァメタ修道院の入口に行けるのですが、クタイシ1(Kutaisi I)駅からトキブリ(Tkibuli)駅までの路線は朝夕2往復の列車が走っており踏切にも監視員さんが常駐しておりますので線路上を歩いていくことはできません。
モツァメタ修道院(Motsameta Monastery)
、モツァメタ駅に到着、修道院の入口に駅があります。京都の伏見稲荷大社と似たような感じで京阪本線の伏見稲荷駅やJR奈良線の稲荷駅を想像すると良いでしょう。ただし、モツァメタ駅は廃墟になっています。
駅のホームを降りると、そのまま修道院の入口です。修道院へ歩いていきますが、この時間になると気温がかなり上がってきました。
モツァメタ修道院(Motsameta Monastery)の歴史は古く4世紀には既に教会自体はこの地にあったとされています。モツァメタ(Motsameta)の名はジョージア語で殉教を意味しておりMkheidze家のArgveti公爵DavitとKonstantinの兄弟は720~730年にアラブ軍に敗れ捕虜となりイスラム教への改宗を拒んだために処刑されTskhaltsitela riverに投げ込まれます。
教会の下を流れるTskhaltsitela riverは「赤い水」を意味しており8世紀にアラブ人による大虐殺に由来します。この虐殺の犠牲者の中にはArgveti公爵DavitとKonstantinの兄弟もおり遺体は川に投げ込まれましたが、伝説ではライオンが遺骨を教会に運んだと伝えられていますが、教会はアラブ軍により破壊されてしまいます。
11世紀になりグルジア王バグラト3世(Bagrat III)により教会のあった場所に殉教し列聖された兄弟のために修道院が建設されます。この修道院がモツァメタ修道院となり聖人に列せられた兄弟の遺骨が修道院に収められています。
時は流れ聖人となったArgveti公爵Davit、Konstantin兄弟の遺骨に危機が迫ります。1923年にソ連の秘密警察GPU(KGBの前身組織)によりクタイシの博物館へ運び出されてしまいます。
しかし、地元の教師たちの抗議により遺骨はモツァメタ修道院に返還されますが遺骨は元の状態とは程遠くなっていました。その後、遺骨を運び出した秘密警察の5人は悲惨な運命をたどります。1人は息子に殺され、1人は精神異常になり、3人は結核で死亡します。
立派な修道院ですがその成り立ちや遺骨を巡る呪いや祟りとも言える出来事からダークな修道院とも思えます。
昼前にモツァメタ修道院は混雑してきて道路上には車が多数あります。
ジョージアのガソリン価格
クタイシへ戻る道路まで来ました。すぐ先にガソリンスタンドが見えます。
ジョージアのガソリン価格を調べてみましょう。ハイオク2.36ラリ(106円)、レギュラー2.22ラリ(100円)、軽油2.34ラリ(105円)と2.22ラリ(100円)になります。EURO REGULAR、EURO DIESELとあるのでEUの基準ということでしょうか?ガソリンでもEUの影響力、ジョージアがEUに加盟したいというのがうかがえます。
資源エネルギー庁の石油製品価格調査を参考に同時期の日本のガソリン価格と比較すると以下のようになります。
ハイオク | レギュラー | 軽油 | |
日本 | 162.7円 | 152円 | 130.4円 |
ジョージア | 2.36ラリ(106円) | 2.22ラリ(100円) | 2.34ラリ(105円) |
ジョージアのガソリン価格がものすごく安いです。ジョージアは油田を持っているのでしょうか?それとも隣国の産油国アゼルバイジャンから安く輸入でしょうか?ロシアとは南オセチアなどで揉めているので輸入はしていなさそうですね。
道路で5分ほどで待つとマルシュルートカが来ました。番号無しでしたのでこの辺りはトキブリ方面の複数の路線がありそうです。
、クタイシ中心部の劇場(Drama Theater)に到着です。運賃は1ラリ(45円)になります。朝乗車したゲラティ修道院行きマルシュルートカが劇場の裏から出発ですので、ほぼ同じ場所に戻ってきたことになります。
クタイシメインバスステーション
、中心部西にある路線バスターミナルにやってきました。メインバスステーション行きは1番バス0.4ラリ(18円)、1番マルシュルートカ0.5ラリ(23円)で5~10分間隔ぐらいで運行しています。
、1番バスでクタイシ2(Kutaisi II)駅前にやってきました。運賃は0.4ラリです。ここがメインバスステーション(main bus station)なのですが駅前のマクドナルドを取り囲むようにマルシュルートカ、タクシーが停まっています。トビリシ、バトゥミ、メスティア行きのマルシュルートカは英語表記なのでわかりやすくなっています。
昼食はパンとビール、ソーセージを購入です。
OETTINGER アルコール5% 500ml 2.55ラリ(115円)
ドイツの三大ビールメーカーのひとつエッティンガーがムツヘタのNATAKHTARIによってライセンス生産されています。私はドイツのエッティンガービールは知らなかったのですが瓶にドイツ国旗があったので「ドイツビールのライセンス生産だな」という所までは理解できていました。後でドイツを代表するビールと理解しました。
暑くて食欲が無いので夕食はパンとビールです。
KASRIS アルコール4.7% 500ml 2.1ラリ(94円)
ムツヘタのNATAKHTARIが生産するドラフトビールです。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 9.1ラリ | – |
交通費 | 1ラリ | クタイシ→ゲラティ修道院 |
交通費 | 1ラリ | モツァメタ→クタイシ |
交通費 | 0.8ラリ | 路線バス |
合計 | 11.9ラリ | – |