ジョージアの首都トビリシからジョージア東部カヘティ州の州都テラビに移動します。カヘティ州はワイン醸造でも知られていますが修道院も数多く残っております。今回はテラビを拠点にカヘティ州を観光してみます。
トビリシからテラビまでマルシュルートカで移動
、Ortachalaバスステーションに到着です。客待ち中のドライバーさんたちに「テラビ」と聞いてみたら指さして教えてくれて、すぐにテラビ行きマルシュルートカを発見します。
運賃は10ラリでロンリープラネットの情報より高くなっていますが、チケット売場でチケットを購入して乗車しますので正規の運賃です。乗車するとすぐにテラビ行きマルシュルートカが出発します。
、地下鉄イサニ駅の隣にあるバス停に寄り乗客を乗せます。バスステーションまで行かなくてもテラビ行きマルシュルートカに乗車できるようです。この後は乗客を拾ったりせずにトビリシを出てテラビへ向かいます。空席は4席でちょうど良い混雑具合です。
テラビまで最短ルートで行くのかと思っていたのですがシグナギ方面へ走っています。このマルシュルートカは北への山道は通らず北東へ迂回して走ります。後で知ったのですがトビリシの地下鉄イサニ駅の隣りからテラビ行きのタクシーが出ており、1人12ラリで満席になり次第出発で山越えの最短ルートを走っていました。トビリシからテラビまではマルシュルートカよりタクシーの方が利便性は高いです。
、シグナギの手前の町バクルツィヘ西へ方向を変えてテラビに向けて走ります。
カヘティ州テラビに到着
、カへティ州テラビに到着、テラビ中心部のカジノ前で降ろされます。テラビはジョージア東部カヘティ州の州都になります。州都というからには大都市をイメージしてしまいますが、テラビの人口は2万人ぐらいで小さな町です。小さな町でもカジノがあったりするので驚いてしまいますが、日本で例えると田舎のパチンコ屋みたいな存在でしょうか?
10分ほど歩いてBooking.comで予約しておいたRestup Hostelへ移動します。古い建物ですが部屋はきれいに改装されており寝るには問題無しでテラビでの拠点は確保できました。
イカルト修道院(Ikalto Monastery)
テラビの西にあるイカルト修道院へ向かいます。テラビ中心部の交差点近くからイカルト行きのマルシュルートカが出ていますので坂道を登り交差点へ。
、イカルト行きマルシュルートカに乗車します。運賃は0.5ラリ、ちょうど満席になったので出発します。
、イカルトで下車します。村を流れるRIV.IKALTOSKHEVIの橋手前の道を進んでいきますので橋を渡ると行き過ぎになるので要注意です。
、イカルト修道院(Ikalto Monastery)にやってきました。イカルト修道院の敷地内にはKhvetaba、Kvelatsminda、Samebaの3つ教会があります。
イカルト修道院の歴史は古く6世紀後半にまで遡ります。キリスト教布教のためにアッシリアからグルジアへやって来たアッシリア十三士の1人の聖ゼノンにより創建されました。8~9世紀には聖ゼノンが埋葬されていた場所に聖堂のKhvtaeba教会が建てられました。このKhvtaeba教会が現在のイカルト修道院の中心となる建物になります。
12世紀にはグルジア国王ダヴィド4世により神学校が建設されました。神学校では神学、天文学、哲学、地理学、薬学、製陶、ブドウ栽培やワイン醸造などが研究されていました。1616年にペルシャのサファヴィー朝アッバース1世により修道院は破壊されてしまいます。
修道院の敷地内には瓶が放置されており神学校での製陶技術研究の名残でしょうか?それともジョージアワインの醸造に使っていたのでしょうか?
こちらが神学校の跡地です。現在は使われている様子はなく遺跡となっているようです。
敷地内には蜂の巣箱があり養蜂が行われていました。
Khvtaeba教会の内部は静かな空間が広がっています。
イコンが多く飾られておりカトリックとは違う正教会の雰囲気が漂っています。
、来た道を戻りテラビへ戻るマルシュルートカを待ちます。
、通りに出るとすぐにテラビ行きマルシュルートカが来ましたので乗車します。
バトニスツィヘ城(Batonis Tsikhe Castle)
、テラビに戻ってきました。マルシュルートカ乗り場から10分ほど歩いてバトニスツィヘ城(Batonis Tsikhe Castle)に到着。
バトニスツィヘ城は歴代カヘティ王の居城としてカヘティ王国の中心地でした。初めはカヘティ王国の王女Ketevanの夫Archilにより1667-1676にかけて建設されます。18世紀になりカヘティ王エレクレ2世により強固な城へと拡張されます。1762年にエレクレ2世が父のカルトリ王テイムラズ2世からカルトリ王国を受け継ぐと首都はテラビからカルトリ王国のトビリシに移っていきます。
現在は城壁が当時の様子を物語っています。
、テラビ歴史博物館(TELAVI HISTORY MUSEUM)にやってきました。バトニスツィヘ城は公園として整備され博物館になっています。
入場料は5ラリ(225円)になり良心的な料金設定です。
博物館は新しく建てられテラビの文化財が展示されています。メスティアの博物館のようにキリスト教の展示は少なめ、民族衣装、古代の出土品など幅広く扱っています。
展示スペースはそれほど広くありませんが入場料が安いので特に不満になるような内容ではありません。5ラリで十分展示物を集めていると思います。
こちらは宮殿になります。博物館の入場券で見学できます。
歴代カヘティ王の執務室、寝室、謁見の間が公開されています。
建物がきれい過ぎるので近年になって復元された建物の可能性があります。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 5.95ラリ | – |
交通費 | 0.5ラリ | 地下鉄 |
交通費 | 10ラリ | トビリシ→テラビ |
交通費 | 0.5ラリ | テラビ→イカルト |
交通費 | 0.5ラリ | イカルト→テラビ |
テラビ歴史博物館 | 5ラリ | – |
合計 | 22.45ラリ | – |
テラビからクバレリまでマルシュルートカで移動
、テラビオールドバスステーションにやってきました。クバレリ行きマルシュルートカを探します。クバレリ行きは09:30から運行開始とロンリープラネットにありましたので満席を警戒して少し早めに来ましたがまだマルシュルートカは来ていませんでした。
、クバレリ行きマルシュルートカがやってきました。乗車して出発を待ちますが乗客はほとんどいませんでした。朝だから満席の心配はなさそうです。
、クバレリ行きマルシュルートカが出発します。テラビからクバレリまでの運賃は3ラリ(135円)になります。
クバレリ(Kvareli)
、クバレリ(Kvareli)に到着です。クバレリはワイン醸造で知られている町で、まずは町の中を歩いてみます。Kote Marjanishvili House Museumにやってきましたが、昔の邸宅を博物館にしているのですが外から見た感じだと特に見学したくなる気は起きませんでした。
町の中心部にある城壁がクバレリ要塞(Kvareli Fortress)です。残っているのは城壁のみで内部は運動場になっていました。
クバレリ要塞の隣りにはワイナリーがあり醸造タンクが見えます。クバレリは町の中心部でもワイン醸造が行われており、まさにワインの町です。
、クバレリバスステーションに戻ってきました。ここでテラビ行きに乗車です。バスステーションと言ってもただの駐車場で数台止まっている車の中にトビリシ行きのマルシュルートカもいました。トビリシ行きは3台も到着していたので昼までは本数が多いようです。
ネクレシ修道院(Nekresi Monastery)
、テラビ行きマルシュルートカが出発します。
、ネクレシ修道院(Nekresi Monastery)の分かれ道で下車します。テラビからの運賃は1ラリでした。ここから山の上にある修道院まで歩いていきます。今日の天気は晴れで気温は30℃以上です。湿度が30%台なので日本のような猛暑ではないのが救いです。しかし、汗は噴き出しかなりつらいです。
修道院のある山の麓まで来ました。麓にはレストランと売店があります。麓からは修道院まで巡礼バスが運行されておりロンリープラネットの情報だと往復1ラリ。私は歩いて修道院へ向かいます。
、山の上にあるネクレシ修道院(Nekresi Monastery)に到着です。
ネクレシ修道院は4世紀にイベリア王Trdatにより小さな教会が建てられています。
6世紀にキリスト教の伝道にジョージアにやって来たアッシリア十三士の1人である聖アビボス(Abibos of Nekresi)もこの地を訪れます。このNekresi Monasteryの名はAbibos of Nekresiから由来しているようです。
イスラム教徒により破壊されたりしていますが再建され現在に至ります。
グレミ要塞(Gremi Fortress)
、幹線道路と修道院の分岐点に戻りマルシュルートカに乗車します。
、グレミ(Gremi)で下車します。運賃は2.2ラリで中途半端です。
*実はこの下車したマルシュルートカがクバレリ→テラビの最終マルシュでした。この時は何も知らず後で苦労することになります。
グレミ(Gremi)はシルクトードの交易ルート上にあり、現在のイランのGhilan、アゼルバイジャンのShemakha、ロシアのAstrakhanからの3ルートがグレミにつながっており繁栄しておりました。さらに1465年から1616年の150年間はカヘティ王国の首都でもありました。1615年にペルシャのサファヴィー朝アッバース1世の侵攻によりグレミは破壊され復興できずにカヘティ王国はテラビへ遷都します。当時のグレミの名残は1565年に建設されたアークエンジェル教会(Church of Archangel)や城壁など一部になります。この教会は城壁で囲まれ要塞化しているのでグレミ要塞(Gremi Fortress)とも呼ばれています。
アークエンジェル教会は博物館として公開されており入場料は5ラリになります。教会内部の壁画はかなり古く消えている部分がかなりあります。
教会の鐘楼を登ります。
鐘楼からはグレミ周辺が見渡せます。
、グレミ要塞の見学を終えてテラビに戻ろうとしますがマルシュルートカが来ません。テラビ行き最終はクバレリ16:00発でした。私がグレミまで乗ってきたマルシュルートカがテラビ行き最終でした。グレミからテラビまで約20kmの距離があります。こうなるとヒッチハイクしか手段がありません。ヒッチハイクするも車は通り過ぎるだけです。
、長期戦覚悟でいましたがタクシーがやって来て捕まえます。運良くちょうどテラビに戻るタクシーだったのでそのまま乗車します。テラビへ戻る途中だったので運賃は5ラリで良心的です。
、テラビの入口で降ろしてもらいます。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 8.35ラリ | – |
交通費 | 3ラリ | テラビ→クバレリ |
交通費 | 1ラリ | クバレリ→Nekresi |
交通費 | 2.2ラリ | Nekresi→Gremi |
交通費 | 5ラリ | タクシー |
グレミ要塞 | 5ラリ | – |
合計 | 24.55ラリ | – |