ジョージア南部サムツヘ=ジャヴァヘティ州に来ています。旧ソ連諸国ではミネラルウォーターで知名度抜群のボルジョミから州都アハルツィヘまで移動します。アハルツィヘのRabati Castleと車で1時間半の洞窟修道院ヴァルジア遺跡まで足を伸ばします。
ボルジョミからアハルツィヘまでバスで移動
ボルジョミ(BORJOMI)からアハルツィヘ(AKHALTSIKHE)まで移動します。ホステルをチェックアウトして国道沿いに歩きます。地元のおばさまに声をかけられ「アハルツィヘ(AKHALTSIKHE)へ行く」と言ったら、昨日、バスステーションの場所は確認済みですがバスステーションまで連れられていきます。
、ボルジョミバスステーションにやってきました。トビリシ、クタイシ、ゴリなどへのマルシュルートカが発着しています。アハルツィヘ(AKHALTSIKHE)行きマルシュルートカはバスステーションの向かいから出発するということで、地元の人たちが集まっています。私もマルシュルートカ待ちの集団に加わります。
、アハルツィヘ行きのマルシュルートカではなく大型バスが来ました。ジョージアでは珍しい大型バスでの運行です。
、アハルツィヘバスステーションに到着します。旅客列車が走っていないアハルツィヘ駅前がバスステーションになっています。
バスステーションから5分ほど歩いてBooking.comで予約しておいた旧市街のGuest House Miminoに到着です。外に看板が出ていたのですぐに見つかりました。部屋は1泊30ラリのツインルームになります。
Rabati Castle
、旧市街の丘の上にあるRabati Castleにやってきました。
入場料は6ラリになります。
Rabati Castleはアヘルツィヘを守る城跡になります。9世紀にはこの地方を統治していたタオ・クラルジェティ公国(Principality of Tao-Klarjeti)により既に城がありLomisa Castleと呼ばれていました。13世紀の1204年にアハルツィヘ(AKHALTSIKHE)の名称が付けられました。
1393年にはティムール帝国の攻撃を受け、1576年にアハルツィヘはオスマン帝国の領土となります。1828年の露土戦争によりアハルツィヘは陥落、オスマン帝国からロシア帝国の領土になります。
Rabati Castleは9世紀にはあった城なのですが、2012年に再建され観光用施設として生まれ変わっております。古い部分もあるのですが城壁の内側には入場券の要らない無料区域にレストランやホテルがあります。
入場券の必要な有料区域に博物館やオスマン帝国時代を再現したモスクやイスラム風の建物が復元されています。
城壁の塔からはアハルツィヘが一望できるようになっています。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 8ラリ | – |
宿泊費 | 60ラリ | 1泊30ラリ×2 |
交通費 | 3ラリ | ボルジョミ→アハルツィヘ |
Rabati Castle | 6ラリ | – |
SAMTSKE-JAVAKHETI HISTORY MUSEUM | 2ラリ | – |
合計 | 79ラリ | – |
アハルツィヘからヴァルジアまで日帰り観光
、朝食をいただきます。今回のゲストハウスは朝食付きです。朝食は予想外に豪華で量が多いです。一人では食べ切れません。
、アハルツィヘのバスステーションにやってきました。10:30発のヴァルジア行きマルシュルートカを探しますが、すぐにバスステーションのおばさまに声を掛けられチケット売場に連れて行かれます。
窓口でヴァルジア行きチケットを購入します。アハルツィヘからヴァルジアのチケットの運賃は5ラリになります。おばさまにマルシュルートカまで連れて行かれますが、ついでにクロ(KHULO)行きのマルシュルートカがあるか聞いてみると無いとの答えが。
季節運行で夏の間はアハルツィヘからフロのマルシュルートカがあるとの情報を入手していたのですが、タクシーしかなさそうです。それとも、バスステーション以外からの出発かも知れません。
窓口に時刻表があったので撮影しておきます。
- トビリシ(TBILISI)
- クタイシ(KUTAISI)
- バトゥミ(BATUMI)
- ボルジョミ(BORJOMI)
- ゴリ(GORI)
- ヴァルジア(VARDZIA)
- ABASTUMANI
- ADIGENI
- AKHALKALAKI
- ASPINDZA
- ATSKURI
- ATSKVITA
- DAMALA
- KHASHURI
- KHIZABAVRA
- NAKALAKEVI
- NINOTSMINDA
- MIRAMKHANI
- MOKHE
- MUSKHI
- RUSTAVI
- TOLOSHI
- TSINUBANI
- UDE
- URAVELI
- VALE
- アルメニア行き
エレバン(EREVAN)07:00
ギュムリ(GUMRI)07:00
、ヴァルジア(VARDZIA)行きマルシュルートカに乗車します。英語の行き先表示もあるので分かりやすいです。
、ヴァルジアに向け出発します。空席が5席ほどありましたがアハルツィヘを出る頃には満席になります。途中の集落で乗客の乗り降りがあり地元の人たちの生活路線として機能しておりヴァルジア遺跡への観光路線としての機能はついでのようです。
洞窟修道院ヴァルジア遺跡
、標高1200mのヴァルジア遺跡に到着です。帰りのアハルツィヘ行きは15:00発ですので3時間弱の観光になります。ヴァルジア遺跡の営業時間は10:00-19:00、入場料は7ラリになります。
入場券売場から遺跡近くまでのマルシュルートカは1ラリになります。私は歩いて遺跡へ向かいます。
ヴァルジア遺跡はキリスト教徒の洞窟都市、洞窟修道院跡になります。12世紀のグルジア王ギオルギ3世(George III)の治世に要塞都市として建設が始まり、娘のタマル女王の治世に修道院として建設されていきます。16世紀になりオスマン帝国の時代になるとヴァルジアは放棄されます。
ヴァルジア遺跡に似たような遺跡は日本で例えると埼玉県吉見町の吉見百穴あたりでしょうか?吉見百穴は規模は小さいですし古代の墓ですので用途が全く違いますが穴がたくさんある部分は似ており、ヴァルジア遺跡は吉見百穴を千倍の規模にした感じと考えれば埼玉の人には分かりやすいと思います。
山の岩肌に多くの岩窟がありここに多くの人たちが住んでいたことを考えると驚くばかりです。近くに川があり水の確保はできたでしょうが生活は不便だったでしょう。
このヴァルジア遺跡はかなりの僻地にあるのですが観光客は予想以上に多く賑わっており駐車場は混雑しています。
洞窟修道院は内部にフレスコ画が残っており当時の教会の様子が偲ばれます。
タマル女王の時代にもヴァルジアは建設されていましたのでフレスコ画にもタマル女王が描かれております。
、駐車場へ戻りアハルツィヘ行きマルシュルートカを探すといました。帰りの交通手段は確保できましたので出発まで待つだけです。
、アハルツィヘ行きマルシュルートカが出発します。6席ほど空席がありますが途中の集落で乗客を乗せてほどなく満席になります。
、アハルツィヘバスステーションに到着します。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 5.2ラリ | – |
交通費 | 5ラリ | アハルツィヘ→ヴァルジア |
交通費 | 5ラリ | ヴァルジア→アハルツィヘ |
ヴァルジア遺跡 | 7ラリ | – |
合計 | 22.2ラリ | – |