首都トビリシから車で2時間ほどのジョージア・アゼルバイジャン国境にあるダヴィド・ガレジ修道院(David Gareji / დავით გარეჯი)を訪れます。このダヴィド・ガレジへはマルシュルートカはありませんが旅行会社がトビリシからのツアーを行っていますのでツアーに参加します。4月~10月に毎日11:00出発ということです。
Gareji Lineのダヴィド・ガレジ修道院ツアーに参加
、トビリシ中心部のLiberty Square近くのPushkin Parkにやってきました。
この公園の一角にある銅像のStatue Of Alexander Pushkinが集合場所になります。今回利用するダヴィド・ガレジ修道院ツアーはGareji Lineという旅行会社が主催しており4月~10月に予約無しで毎日10:45銅像前集合、11:00出発で催行しています。予約無しでツアーに参加できるので当日の朝に決めるのもOKです。銅像付近に集合ということですので行ってみると旅行会社のお姉さんに声を掛けられます。ダヴィド・ガレジ修道院ツアーはちゃんとやっていました。
パンフレットもらって料金25ラリ(1125円)を支払い出発を待ちます。周辺にはパンフレットを持った欧米人が大勢います。ツアーのWebサイトはかなり簡素で「本当にやっているのかな?」と思っていましたけど、ロンリープラネットでも紹介されており人数の集まり具合からしてこのツアーかなり有名なようです。
パンフレットを読むとどうやらダヴィド・ガレジ修道院には売店がないようで途中の休憩でミネラルウォーターを購入しておくように注意書きがあります。(実際は修道院の売店で高いミネラルウォーターの販売はやっています。)どうやらダヴィド・ガレジ修道院はカズベギのトルソバレーのようにかなり辺鄙なところのようです。
ツアーは以下のような旅程になります。
トビリシ出発
ダヴィド・ガレジ修道院到着
自由行動
~ ダヴィド・ガレジ修道院出発
トビリシ到着
、1台目の車が来ました。写真を撮っていたので満席になってしまい次の2台目を待ちます。
、2台目の車で出発です。乗り切れなかったツアー客がおり、今日は3台でツアー催行です。ツアー客は9割以上が欧米人で、アジア人は私以外に4人で韓国か北朝鮮の人が2人います。
、売店で昼食とトイレ休憩です。私もここで昼食を食べておきます。
、休憩を終えて出発です。国境地帯に近づいてくると畑から草原の風景に変わります。民家は1軒も見当たらずジョージアにもモンゴルの大草原のような風景が広がっています。
12:50、撮影ポイントで10分ほどの撮影タイムです。
本当に無い所で地平線が見えます。この辺りはジョージア・アゼルバイジャンの国境線近くですので奥に見える丘の向こうはアゼルバイジャンになります。
こちらはジョージア側の風景で草原の広がる丘陵地帯で何もありません。
、予定より55分遅れでダヴィド・ガレジ修道院に到着です。帰りは予定通りに出発ですので、当初の3時間から1時間少ない2時間の自由時間になります。
周辺の状況ですが駐車場のトイレは0.5ラリです。トイレは駐車場の1ヶ所のみですので要注意です。売店には「Water」の表示がありミネラルウォーターを売っていましたが500ml 1ラリ、1L 1.5ラリで高いです。修道院の売店ですのでミネラルウォーター以外は宗教グッズで飲食物は一切ありません。
ダヴィド・ガレジ修道院(David Gareji / დავით გარეჯი)は6世紀にアッシリアからグルジアにやって来たアッシリア十三士の1人ダヴィド・ガレジェリ(St. David Garejeli) に設立されました。その後ダヴィドの弟子であるDodoとLucianeは修道院のラヴラ(Lavra)を広げていきました。
9世紀になり聖イラリオン(St. Ilarion)により修道院はさらに拡張されグルジア王国の王侯貴族たちの信仰を集めます。12世紀の1154~1155年にはグルジア王デメトレ1世(Demetrius I)が息子のダヴィト5世(David V)との争いに破れ退位しダヴィド・ガレジ修道院で修道士として生活していますがダヴィト5世の急死により1年でグルジア国王に復帰しています。
13世紀になりグルジア王国がモンゴル帝国の侵攻を受けると修道院は長らく荒廃しますが、その後のグルジア王たちにより復興していきます。
1615年にペルシャのサファヴィー朝の侵攻により修道院が破壊されますが、1690年に修道院の責任者に任命されたOnopre Machutadzeにより復興されます。
修道院は丘陵地帯にあり斜面に洞窟を掘り礼拝堂、食堂、修道士の部屋などが作られております。今回訪れた時は修道院は修復工事の真っ最中で見学できない部分もありました。
洞窟だけでなく石造りの建物や城壁もあります。
こちらは礼拝堂です。現在も修道院では修道士が生活しており観光地でもありますが、しっかり宗教活動も行われております。
ダヴィド・ガレジ修道院の裏手にある丘のトレッキングコースを登ります。丘と言っても急斜面もあり真夏の暑さで汗が吹き出て登るのは大変です。
トレッキングコースを上っていくと丘の上の教会が見えてきました。教会にはジョージア軍の兵士2名がおり国境警備をしています。
この教会から先はジョージア・アゼルバイジャンの国境線上にありトレッキングコースの一部がアゼルバイジャン側にあります。ジョージア側からは丘になっていますが、アゼルバイジャン側は崖になっています。
教会から南側はアゼルバイジャンになります。
崖の部分にもトレッキングコースが観光客が歩いています。
崖のトレッキングコースには杭がいくつもありますが、これがジョージアとアゼルバイジャンの国境線になります。トレッキングコースは国境線を越えてアゼルバイジャンを通っています。アゼルバイジャン側を通ることになりますがダヴィド・ガレジ修道院に限っては特に問題ないようです。崖のトレッキングコースを歩いてジョージアとアゼルバイジャンの国境を何度も越えます。
国境線の崖にある石窟のUDABNO CAVESにはフレスコ画がいくつか残されています。
石窟のフレスコ画は長年の経年劣化や戦火による破壊でほとんどが消えております。
フレスコ画の残っている部分でも人物像の顔の部分が消されている点からしてペルシャのサファヴィー朝の侵攻が絡んでいるのでしょうか?
石窟にもジョージア軍の兵士2名が警備しておりますが炎天下の中で石窟の日陰にいるとはいえかなり辛そうです。国境線と思われる杭のついて聞いてみたら、やはりジョージアとアゼルバイジャンの国境線でした。
こちらはアゼルバイジャン側で記念撮影中の観光客。石窟へのトレッキングコースが1本だけなのでジョージア側から観光客が越境してもアゼルバイジャンは大目に見てくれています。
アゼルバイジャン側の崖から遠く離れた所に建物があります。何の施設かは不明ですが人は住んでいるようです。
杭だけだった国境線が手すり付きになっている部分があります。奥に建物の屋根が見えるので行ってみます。
小さな礼拝堂があります。後で知ったのですが、この建物周辺の土地を巡ってジョージアとアゼルバイジャンが揉めています。この建物はアゼルバイジャンのAgstafa Districtにあるダヴィド・ガレジ修道院を構成する唯一アゼルバイジャン側にある建物です。この建物の帰属を巡ってジョージアとアゼルバイジャンが対立しています。ジョージアは領土交換を提案していますがアゼルバイジャンは譲る気がありません。この小さな礼拝堂が領土問題の最前線になっていました。
、駐車場に戻ってきました。
、ダヴィド・ガレジ修道院からトビリシへ向けて出発します。予定ですとトビリシには到着となります。
、ダヴィド・ガレジ修道院から最寄りのUDABNO村に到着、レストランのOasis Clubで1時間の夕食休憩ですが、この時間は夕食にはまだ早いです。旅行会社とレストランの経営者が同じなのでしょうか?格安ツアーの土産物屋巡りがレストランに置き換わったと考えておきましょう。ちゃんとお金を使わせるように仕組まれています。このOasis Clubもロンリープラネットで紹介されています。料理は1品5ラリぐらいからで私は無駄な出費は避けたいので車で大人しく待ちます。
パンフレットにある旅程だとにトビリシ到着なのですが、この時点で既に不可能です。休憩無しで戻れば到着は可能ですが、金蔓は逃せませんので遅れるのを承知で休憩です。これなら初めから不可能な旅程を載せなければよいのにと思うのですが、なぜ不可能な旅程を組んだのか不思議です。
、予定を22分遅れで出発します。
、1時間遅れでトビリシのLiberty Square近くに戻ってきました。
地下鉄Liberty Square駅へ行きホステルへ戻ります。
項目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
食費 | 5.6ラリ | – |
交通費 | 1ラリ | 地下鉄 |
交通費 | 25ラリ | ダヴィド・ガレジ修道院 |
合計 | 31.6ラリ | – |