シルクロード・中央アジアのタジキスタン東部のゴルノ・バダフシャン自治州ムルガブにやって来ました。ここはパミール高原と呼ばれほとんどの地域が標高3000m以上の高地になります。キルギス・オシュから始まったパミール高原ツアーの3日目はムルガブからブルンクルまで移動します。3日目の目的地ブルンクルでは世界遺産に登録されているタジキスタン国立公園のYashikul湖に立ち寄ります。下記地図のルートは現地にてGPSで収集したデータを元に作成しています。
パミール高原ツアー3日目
、オランダ人2人、日本人2人、フランス人1人、中国人1人でムルガブ(Murghab / Мурғоб)のパミールホテルを出発します。10:00出発の予定でしたがドライバーさんが早く来たので荷物を積んで予定より早く出発します。まずはムルガブに町を出たところで給油です。ドライバーさん今日はしっかり現金を持っており借金無しです。そういえばオランダ人のムスタファさんに借りていたガソリン代は返したのだろうか?
、ムルガブ郊外のチェックポイントに到着です。ドライバーさんがパスポート、E-VISA、パーミットを回収して小屋へ向かいます。
、ドライバーさんが戻ってきてパスポートなど返却です。5分ほど地元のドライバー仲間と雑談して出発しません。海外だとドライバーさんが仲間と話し込んで出発しないというのによく遭遇しますがタジキスタンも同様のようです。
、チェックポイントを出発します。ムルガブを出ると携帯電話は使えない区間があります。道路沿いに基地局が設置されていませんので当然ですが圏外になります。パミール高原は幹線道路といっても携帯電話の空白地帯があります。
、前方でパンクしてタイヤ交換中の車がおりドライバーさんの仲間だったので救援で停車します。私は前方からやってくるムルガブへ向かう自転車の撮影をします。
自転車はタイヤ交換中の車の横を通りムルガブへ走っていきます。
Ak-Balyk Lake
、標高3900m地点にある湖のAk-Balyk Lakeに到着します。
湖と言っても池みたいに小さいのですが、目の前に湿地と草原、さらにパミールの山々が広がっています。
Ak-Balyk Lakeは湖底から絶えず水が湧き出ており、湖底が見える透明度を保っています。
パミール高原の乾燥地帯にある湖は砂漠のオアシスのような存在です。
湖の水は湿地帯へと流れ出し乾燥したパミール高原の中に緑豊かな湿地と草原を作り出しています。
、Ak-Balyk Lakeを出発します。
、標高3890mのアリチュル(Alichur)村で昼食休憩です。昼食は魚の揚げ物14ソモニ(164円)を頂きます。アリチュル村近辺で穫れた魚が出されます。
アリチュル村では携帯電話はMegaFon GSMのみ使用可能です。
、アリチュル村を出発します。パミールハイウェイから外れて未舗装の道を進んでいきます。
、標高3800mの塩湖に到着です。
塩分濃度が高いので塩の結晶で白くなっています。
、塩湖を出発して未舗装の道路を進むと村が見えてきました。ブルンクル湖(Bulunkul Lake)の湖畔にあるブルンクル村です。
ブルンクル村
、標高3760mのブルンクル村のゲストハウスに到着です。Homestay NISSOと看板が出ています。夕食、朝食付きで1泊150ソモニ(1755円)、部屋は大部屋で6人で雑魚寝になります。
この後はブルンクル村からブルンクル湖とYashikul湖までトレッキングという予定になっていますが、ドライバーさんが1人5ドルでブルンクル湖、Yashikul湖、間欠泉に乗せていくということで6人でYashikul湖まで行きます。ブルンクル湖は明朝訪れるので今日は素通りです。
ブルンクルの間欠泉
、標高3790mの間欠泉に到着します。熱湯ではありませんがお湯がたまに噴き出してきます。テレビで紹介される勢いよく出る間欠泉ではありませんので迫力には欠けます。間欠泉の風下は硫化水素の臭いがします。私は風上から間欠泉が吹き出るのを待ちますが、1分以上も吹き出なかったり観光地としては微妙です。ドライバーさんが噴出口に「Come on! 」と呼びかけたりしますが反応はありません。
ドライバーさんが噴出口を覗いているといきなり出てきたりと、こちらの思った通りには出てくれません。
ようやく間欠泉が吹き出しても規模が小さいですのでイマイチです。
、間欠泉を出発します。
世界遺産タジキスタン国立公園Yashikul湖
、標高3700mのYashikul湖にやってきました。Yashikul湖は2013年にユネスコの世界自然遺産に登録されたタジキスタン国立公園(パミールの山々)(Tajik National Park (Mountains of the Pamirs))を構成する湖になります。
Tajik National Park (Mountains of the Pamirs) – Documents – UNESCO World Heritage Centre
Nomination file 1252rev (10 MB)
Yashikul湖は淡水湖で面積は36.1K㎡、洞爺湖(70.72K㎡)の約半分、網走湖(32.28K㎡)より一回り大きい湖になります。湖の西からはグント川(Gunt River)が流れ出しタジキスタン・アフガニスタンの国境線になるパンジ川(Panj River)に合流しています。
Yashikul湖は中国の書物に登場したり、清朝とイスラム教徒との戦いや清朝とロシア帝国との戦いも起きています。明代の永楽年間に西域のティムール帝国へ派遣された陳誠が記した「竹山集」の中に「亦息渴兒」の記述がありYashikulの発音に近いことからYashikul湖を指していると考えられています。
清の乾隆22年(1757)に西域にて大ホージャのブルハーン・アッディーンと小ホージャのホージャ・ジャハーンが起こした大小ホージャの乱では清軍に敗れたブルハーン・アッディーンとホージャ・ジャハーンがパミール高原に逃げ込みます。
乾隆24年(1759)には満州八旗の正黄旗出身の定邊右副将軍・富德と鑲黄旗出身の參贊大臣・阿里袞がブルハーン・アッディーンとホージャ・ジャハーンをYashikul湖にて追撃を行い清朝では「伊西洱庫爾淖爾之戰」と記録されています。
大小ホージャの乱を平定後に乾隆帝はYashikul湖の東に石碑を建立し石碑の守備に清軍がYashikul湖の湖畔に駐屯します。石碑には満州語、中国語、ウイグル語の三言語で御撰された碑文が刻まれ、この石碑を「御製平定回部伊西洱庫爾淖爾勒銘碑」と呼び、短く「乾隆紀功碑」とも呼ばれます。
光緒年間に「卡倫」と呼ばれる哨戒所が設置され、光緒18年(1892)にロシア帝国トルキスタン総督府の攻撃によりYashikul湖より清軍が撤退します。ロシア軍により「乾隆紀功碑」はタシケントの博物館に運ばれます。台座の部分はホログの博物館に保管されています。
このような辺境地域にまで清軍がやって来ていたというのを考えると驚くばかりです。道が整備されていないYashikul湖まで道案内がいたとしても軍を率いてくるのは困難なはずです。世界遺産に登録されている湖には大自然だけでなく隠れた歴史があります。
Yashikul湖の景色はかなり良いです。今回はオランダ人とフランス人の2人がYashikul湖で泳いでいます。
この時は楽しく泳いでいるのですが翌日大変なことになります。
、Yashikul湖を出発します。
夕食
、ゲストハウスに帰ってきました。ゲストハウス近くの商店でタジキスタン産ロシアビールビールを購入します。
タジキスタン産ロシアビール Чешское барное アルコール4.9% 1L 12ソモニ(140円)
パミール高原の辺境地域の村ですので値段が高いか安いかはドゥシャンベでの相場を知りませんので何ともいえません。
、夕食の時間になりました。今日の夕食はラグマン、プロフ、ナン、ヤクのヨーグルトです。予想外に夕食が豪華です。夕方に買ったタジキスタン産ロシアビールを日本人同行者Oさんと一緒に飲みます。正確には標高3760mの高地にあるゲストハウスでビール1Lを一人で飲んで高山病になると困りますので2人で飲めば大丈夫かなと。ビール代半分の6ソモニをOさんが出してくれたので出費は軽減されました。
項目 | 金額 | 備考 |
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食費 | 26ソモニ | – |
宿泊費 | 150ソモニ | 1泊×150ソモニ |
合計 | 176ソモニ | 1ソモニ≒11.7円 円換算:2059円 |