函館観光~1日で何箇所の観光地を見られるか?

五稜郭

函館にやってきましたが1日しか観光ができませんので何箇所の観光地を見られるか試してみました。定番観光地からマイナー観光地まで行ける所まで行ってみました。結果から言えば16箇所を訪れましたが、元町公園エリアとベイエリアに重点を置けばもっと回れた場所が増えますね。

まずは金森赤レンガ倉庫からスタートして夕方に函館山へ登ります。
08:00、ホテルをチェックアウトします。荷物だけ夜まで預かってもらい函館観光へ出発します。

函館ベイエリア 金森赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫

まずは函館ベイエリアへ向かいます。函館ベイエリアは函館港に沿って赤レンガ倉庫が立ち並ぶ函館の観光名所です。

金森赤レンガ倉庫は明治時代にまで遡ります。もともとは共同運輸会社の倉庫として使用されていましたが、1885年(明治18年)に共同運輸会社と郵便汽船三菱会社が合併して日本郵船が設立されると倉庫は不要になりました。そこに長崎から函館に渡り洋物店や船具店を営んでいた渡邉熊四郎が倉庫を購入しました。その後1887年(明治20年)に渡邉熊四郎が函館で初めて営業倉庫を開業します。

昭和後期になると函館港の港湾機能が北東部へ移り倉庫業は衰退していきますが、新たに金森赤レンガ倉庫周辺は函館ベイエリアとして観光地へと変わっていきます。その中で海に面した立地とレトロな雰囲気の金森赤レンガ倉庫は観光地として知名度を上げていきます。

金森赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫

こちらが金森赤レンガ倉庫のトレードマークです。「曲尺(かねじゃく)」に「森」の字を組み合わせており、曲尺の記号には律義でまっすぐという意味があり、商売に駆け引きは不要としていた初代らしい屋号になります。「曲尺(かねじゃく)」は金に掛けており、「森」の字は渡邉熊四郎が長崎で務めていた薬屋「森屋」に由来します。

金森赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫が並び奥には函館山が見えます。天気が良ければ函館山の頂上と青空が見えますね。

函館駅

函館駅

08:45、金森赤レンガ倉庫から函館魚市場や函館朝市を通り函館駅にやってきました。函館観光の起点ともなるのが函館駅です。駅前からバスや市電で函館市内の観光地へ簡単に行けます。

市電・バス共通1日乗車券

市電・バス共通1日乗車券

まずは函館駅前のバス案内所で市電・バス共通1日乗車券1000円を購入します。路線地図も付いていますので行き先を考えましょう。

函館市電

函館市電

函館駅前から市電に乗車して湯の川へ向かいます。

湯の川温泉の鎮守・湯倉神社

湯倉神社

湯倉神社

09:30、市電の終点「湯の川」電停に到着します。電停の前にある神社が湯倉神社になり函館では規模の大きい神社になります。

伝説によれば室町時代の1453年(享徳2年)に、ある木こりが小高い丘(湯倉神社あたり)で湧き湯を見つけました。その後、木こりが病気なった時この湧き湯を思い出し、腕の痛みを湯治して癒しました。 木こりはこのお礼に薬師如来を彫り、小さな祠を建てて安置したというのが湯倉神社の発祥といわれています。

その後、江戸時代になると松前藩第4代藩主松前高広(幼名 千勝丸)が、1653年(承応2年)に重い病気になり、ある夜、母・清涼院が夢のお告げを受け、家臣を向かわせたところ温泉を発見し、千勝丸を湯治させたとのことでした。翌年の1654年(承応3年)に清涼院は、そのお礼にと社殿を改築し、薬師如来像を安置し、鰐口(円盤型の大きな鈴)を奉納しました。これが湯の川温泉の発祥といわれています。

明治になり湯倉神社は1876年(明治9年)に「村社」に列格され、1941年(昭和16年)には現在の社殿が造営されてます。湯倉神社の御祭神は、「大己貴神(おおなむちのかみ)」、「少彦名神(すくなひこなのかみ)」、「倉稲魂命(うかのみたまのかみ)」になります。

湯倉神社

湯倉神社

広い境内と立派な社殿があり湯の川温泉の鎮守として親しまれています。

絵馬

絵馬

絵馬は安産祈願、初宮詣、七五三詣、交通安全、健康など種類豊富です。

なでうさぎ 神兎

なでうさぎ 神兎

御祭神の大己貴神の別名が大国主神ですので、神話「因幡の白兎」にちなんで、なでうさぎ 神兎の像があります。

トラピスチヌ修道院

トラピスチヌ修道院

トラピスチヌ修道院

10:15、湯倉神社の次はトラピスチヌ修道院へ向かいます。バス停「湯倉神社前」から五稜郭タワー・トラピスチヌシャトルバスに乗車します。8分ほど乗車して「トラピスチヌ前」で下車します。修道院内へは入れませんが前庭が一般開放されています。

「天使の聖母トラピスチヌ修道院(通称・天使園)」は1898年(明治31年)にフランスから派遣された8人の修道女が創立した日本初の女子観想修道院になります。園内には、大天使聖ミカエル、聖母マリア、聖テレジア、ジャンヌ・ダルクの聖像や売店、資料館があります。観光施設ではなく巡礼地であり、前庭のみが見学することができます。

トラピスチヌ修道院

トラピスチヌ修道院

前庭から奥へ進むとレンガ造りの建物が見えてきます。建物左側が司祭館、司祭館の右側の丸みを帯びた壁の部分が、トラピスチヌ修道院の聖堂になります。

トラピスチヌ修道院

トラピスチヌ修道院

司祭館と聖堂の間にあるレンガの壁が修道院と俗世を隔てる壁になり、壁には小さな門があります。この門が「入会者の門」と呼ばれ、修道院に入会して最初にくぐる門です。

 

五稜郭タワー

五稜郭タワー入場券

五稜郭タワー入場券

トラピスチヌ修道院の次は五稜郭タワー・トラピスチヌシャトルバスに乗車して五稜郭タワーへ向かいます。11:20、バス停「五稜郭タワー前」で下車するとすぐに近くに五稜郭タワーがあります。五稜郭タワーの入場料は900円になります。

五稜郭

五稜郭

エレベーターで高さ90mの展望台へ行くと目の前に星型の五稜郭の姿が飛び込んできます。

五稜郭

江戸幕府はペリー提督の黒船来航により1854年(安政元年)に「日米和親条約」を締結し箱館(江戸時代まで、「函館」は「箱館」と表記されていました)を開港しました。開港後ヨーロッパで発達した「城郭都市」を参考に築かれた稜堡式城郭が五稜郭です。その後、明治新政府と榎本武揚が率いる旧幕府軍との起きた箱館戦争の舞台になりました。

五稜郭公園(箱館奉行所)

箱館奉行所

箱館奉行所

12:00、五稜郭タワーから五稜郭公園にやってきました。箱館戦争の舞台になった五稜郭は大正時代に公園として一般開放され、2010年(平成22年)に箱館奉行所が復元されています。

箱館奉行所入場券

箱館奉行所入場券

五稜郭公園にある箱館奉行所の入場料は500円になります。

箱館奉行所

箱館奉行所

箱館奉行所は当時の木材、工法などの古建築技術や資料に基づいて、当時のまま復元されています。こちらの大広間は壱之間から四之間まで4部屋が襖で仕切られ続いています。復元された箱館奉行所は「再現ゾーン」「歴史発見ゾーン」「映像シアター」「建築復元ゾーン」と別れており幕末から明治維新の箱館奉行所の様子が紹介されています。

函館八幡宮

函館八幡宮

函館八幡宮

14:30、函館八幡宮にやってきました。
函館八幡宮は室町時代の1445年(文安2年)、河野政通が蝦夷地に渡来し、現在の元町公園辺りに館を築き、その一角に八幡神を祀ったのが始まりとされています。その後数回の移転を経て1880年(明治13年)に現在の場所に移されました。

五稜郭がデザインされた絵馬

五稜郭がデザインされた絵馬

五稜郭がデザインされた絵馬が函館らしいですね。

碧血碑

碧血碑

碧血碑

14:45、函館八幡宮の近くにある碧血碑にやってきました。
箱館戦争で戦死した土方歳三や旧幕府軍の霊を弔っているのが、この碧血碑です。

ハーバー遭難記念碑

ハーバー遭難記念碑

ハーバー遭難記念碑

15:00、ハーバー遭難記念碑のある函館公園に到着です。
ハーバー遭難記念碑は函館公園の一角にあります。1874年(明治7年)2月に着任したドイツの代弁領事ルードヴィッヒ・ハーバーは、同年8月11日、旧秋田藩士田崎秀親に斬殺されるという事件が発生します。この事件現場が石碑の近くになります。

青函連絡船殉職者慰霊碑

青函連絡船殉職者慰霊碑

青函連絡船殉職者慰霊碑

ハーバー遭難記念碑から5分ほどの函館山登山道口付近にあるのが青函連絡船殉職者慰霊碑です。

青函連絡船殉職者慰霊碑

青函連絡船殉職者慰霊碑

1945(昭和20)年7月14~15日のアメリカ軍機による空襲、1954年(昭和29年)の洞爺丸台風により洞爺丸をはじめとする青函連絡船5隻の沈没事故など、青函連絡船船員の殉職者を祀る慰霊碑です。

JR北海道の献花

JR北海道の献花

慰霊碑にはJR北海道の献花がありました。

新政府軍の墓地(護国神社)

新政府軍の墓地

新政府軍の墓地

函館山登山道口から5分ほど歩いて、護国神社の片隅にあるのが新政府軍の墓地です。

新政府軍の墓地

新政府軍の墓地

墓に葬られているのは箱館戦争で戦死した薩長などの新政府軍の兵士たちです。護国神社まで来ると元町公園エリアに近くなるので観光地が多くなり、どの観光地も5分ほどで行けるようになります。

南部藩陣屋跡・NHK函館放送局誕生の地

南部藩陣屋跡

南部藩陣屋跡

江戸幕府の命により南部藩が蝦夷地を警備するための陣屋跡です。

NHK函館放送局誕生の地

NHK函館放送局誕生の地

時代が流れ1932年(昭和7年)にNHK函館放送局が開局しラジオ放送を開始、1957年(昭和32年)にテレビ放送を開始、1967年(昭和42年)に千歳町へ移転するまで35年間、テレビ、ラジオを放送してきました。

ハリストス正教会

ハリストス正教会

ハリストス正教会

ハリストス正教会は1859年(安政6年)にロシア領事館の付属聖堂として建てられたのが始まりになり、1907年(明治40年)に大火で焼失しますが、1916年(大正5年)にビザンチン様式の聖堂が再建されました。

カトリック元町教会

カトリック元町教会

カトリック元町教会

カトリック元町教会は1859年(安政6年)にフランス宣教師メルメ・ドゥ・カションが仮聖堂を建てたのに始まり、1868年(明治元年)に現在の場所に仮聖堂が建てられ、1877年(明治10年)に最初の聖堂が建てられ、1924年(大正13年)に現在の大聖堂が完成しました。

坂本龍馬像

坂本龍馬像

坂本龍馬像

函館市内の十字街の北海道坂本龍馬記念館の向かいにある坂本龍馬像です。こんな所にも坂本龍馬像があります。

新撰組最期の地(弁天岬台場跡)

弁天岬台場跡

弁天岬台場跡

16:30、市電の電停「函館どつく前」に到着です。目の前の公園が「弁天岬台場跡」です。

新撰組最期の地

新撰組最期の地

説明の看板の近くに「新撰組最期の地」と書かれた石碑があります。箱館戦争で新撰組が弁天岬台場を守っていましたが新政府軍の攻撃により降伏しています。

新撰組供養碑(称名寺)

新撰組供養碑

新撰組供養碑

電停「函館どつく前」から徒歩10分ほどのところにあるのが称名寺です。こちらには土方歳三や新撰組隊士たちの新撰組供養碑があります。

高田屋嘉兵衛顕彰碑

高田屋嘉兵衛顕彰碑

称名寺には新撰組供養碑の他にも高田屋嘉兵衛顕彰碑などもあります。

外国人墓地

ロシア人墓地

ロシア人墓地

17:00、外国人墓地にやってきました。外国人墓地にはロシア人墓地、カトリック墓地、プロテスタント墓地、中国人墓地があります。

函館山

函館山山頂

函館山山頂

18:00、函館駅から函館登山バスに乗車して函館山山頂へ向かいますが、函館山山頂は霧に覆われていました。天気が良ければこのまま夜景を見るのですが、これではいる意味がありません。

函館の風景

函館の風景

帰りのバスから少しだけ函館の風景を見るだけでした。

以上、金森赤レンガ倉庫から函館山まで16箇所の紹介でした。

五稜郭