島根県大田市にある石見銀山へ行ってきました。2007年に世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」として登録されて鉱山遺跡として有名なのですが、山の中にありアクセスの悪さから訪れる人が少ない穴場スポットになっています。今回は穴場スポット石見銀山の大久保間歩ツアーに参加してみました。
出雲から石見銀山へ
出雲市駅にやってきました。07:39発の大田市行きの列車に乗車します。
08:20、大田市駅に到着です。
大田市駅から石見交通のバスで石見銀山へ行けます。08:47発のバスで世界遺産センターまで乗車します。運賃は750円、Suica、ICOCAなどのICカードは使えません。乗客は10人ぐらいいて全員が石見銀山へ行きます。石見銀山といっても範囲が広く、大森代官所跡、大森、世界遺産センターの3箇所のバス停で乗り降りします。3箇所のバス停には下記のような観光地があります。
- 大森代官所跡:代官所跡(世界遺産)が石見銀山資料館になっており、代官所跡から大森まで古い町並みが残っています。古い町並みには熊谷家住宅(世界遺産)や武家屋敷があります。
- 大森:バス停の近くに羅漢寺の五百羅漢(世界遺産)、約1.5kmの所に石見銀山の坑道「龍源寺間歩(世界遺産)」があり途中には佐毘売山神社(世界遺産)、清水谷製錬所跡、大久保石見守墓があります。
- 世界遺産センター:石見銀山観光の拠点で駐車場、トイレ、お土産屋、軽食、資料館があります。大久保間歩ツアーの受付と出発も世界遺産センターになります。
大森代官所跡、大森、世界遺産センターの3箇所はシーズン中は30分間隔(土日祝日増発)で路線バスが運行されていますので行き来は便利です。下記のマップが参考になります。
09:20、世界遺産センターに到着です。世界遺産センターと呼ばれていますが正式名称は「石見銀山世界遺産センター」になります。
世界遺産センターでは「大久保間歩一般公開限定ツアー」が行われており申し込んでおいたのですが全然埋まっていないです。これなら予約せずに飛び込みでも大丈夫でした。私は10:30の大久保間歩ツアーに申し込んでおり、まだ時間があるので世界遺産センター周辺の探検へ出かけます。
世界遺産センターが見渡せる場所にやってきました。この世界遺産センターが石見銀山観光の拠点になります。路線バスで石見銀山へ来る人は関係ないのですが、車で来る人は世界遺産センターの駐車場を利用しましょう。
石見銀山には交通規制がありパーク&ライド方式を実施しています。
大森代官所跡、大森、龍源寺間歩の一帯は道が狭くて駐車禁止ですので世界遺産センターの駐車場に車を止めて路線バスで大森代官所跡や大森へ移動するのがベストです。代官所跡や大森の銀山公園駐車場にも車を止められますが、台数少ないので朝一でなければ世界遺産センターの方が楽です。
大久保間歩一般公開限定ツアーに参加
世界遺産センターに戻り、予約しておいた大久保間歩一般公開限定ツアーの支払いを済ませます。ツアー代金は4000円、高いか安いかはまだ分かりませんが4000円の価値があることを期待しましょう。今回の大久保間歩ツアーのルートは以下のようになります。
世界遺産センター→原田バス停(駐車場)→本谷口番所跡→下金生坑→金生坑→大久保間歩→釜屋間歩(折り返し地点)
距離:約1.8km 所要時間:2時間半
大久保間歩とは?
石見銀山(いわみぎんざん)には銀採掘のために掘られた「間歩」と呼ばれる坑道が600余りあり、大久保間歩(おおくぼまぶ)は石見銀山を構成する山のひとつである仙ノ山にあり、石見銀山最大の間歩です。大久保間歩は石見銀山初代奉行の大久保長安の名から名付けられ、江戸時代から明治時代にかけて開発され、坑内の高さは最大5mに達し、伝説では大久保長安が槍を持ち、馬に乗ったまま入ったといわれています。
集合時間の10:00になりガイドさんの説明を受けます。今回のツアーは私を含めて6人でした。石見銀山の簡単な説明を受けてからバスで大久保間歩最寄りの原田バス停(バス停というより駐車場)へ移動します。この駐車場が最後のトイレになり、大久保間歩や一番奥の釜屋間歩にはトイレはありません。10:40、駐車場からスタートして仙ノ山の山道を登っていきます。一番奥の釜屋間歩まで約1.8kmの距離になります。まず初めに本谷口番所跡へ向かいます。
本谷口番所跡
10:50、本谷口番所跡にやってきました。説明を見ると以下のようにあります。
仙ノ山の南側には、「本谷口」と、そこから山裾を北側にまわったところの「水落口」に2つの番所がありました。江戸時代の石見銀山には、初め周囲を廻る柵が設けられ、1641年(寛永18年)からは松を植えた垣松によって鉱山の内外が区分されていました。門、番所の構造は不明ですが、絵図には間口が3間(約5.8m)、奥行き2間(約3.9m)ほどの平屋の建物が描かれています。番所は右奥の平坦地に設けられたと推定されます。
残っているのは番所の石垣だけのようです。ガイドさんの説明も短いのでそれほど重要度は高くないようです。
下金生坑
10:55、下金生坑にやってきました。こちらは坑道に溜まった水を抜くため掘られたそうです。銀採掘の坑道というより排水路の意味合いが強いです。
金生坑
11:00、金生坑にやってきました。坑道が開かれた時期は不明ですが、明治時代に金生坑より高い位置にある大久保間歩とつながり大久保間歩の水抜きと鉱石の搬出坑道として使われたと推定されています。
大久保間歩
11:15、ツアー最大の目的地の大久保間歩に到着です。ここに管理棟があるのでヘッドライト付きヘルメット、長靴を借りて大久保間歩へ入りますが、真夏の暑い中で大久保間歩の入口からひんやりと冷たい空気が流れ出てきます。大久保間歩の入口には以下のような説明があります。
江戸時代から明治時代にかけて大規模に開発された坑道です。坑内には江戸時代と推定される縦横に走る坑道や、明治時代の開発で坑道を拡幅した様子などを見ることができます。
江戸時代、初代銀山奉行の大久保長安が槍を持って馬に乗ったままで入ったという伝承から、大久保という間歩名になったといわれています。抗口付近には、明治時代の再開発の時に敷かれたトロッコの軌道の跡や削岩機による採掘の跡が残っています。主坑道は坑口から約150m地点で落盤し、坑口から約50m地点と約110m地点で西に分岐しています。坑内の天井までの高さは最も高い所で約5mを測り、大規模な坑道であることがわかります。
坑口から約50mのところで、大久保間歩の下部に位置する金生坑道と連結する明治時代の竪坑・斜坑があり、坑道の掘削技術の移り変わりを見ることができます。
大久保間歩へ入ると外とは別世界で涼しいの一言です。天然のクーラーと言った所でしょうか。涼しいのですが足元はかなり悪く水が溜まりトロッコの枕木が残っています。坑道の奥へ入ると開けた場所があり、これなら馬に乗ったままで入ったという伝承も納得です。
天然のクーラーで涼しい大久保間歩ですが12月~2月はツアー中止だそうです。雪が降ってお客さんが来ないのも理由のひとつですが、最大の理由は大久保間歩がコウモリの越冬地になっているからだそうです。
ガイドさんから大久保間歩の説明を受けますがほとんど真っ暗な状態で撮影しても手ブレが酷くてダメです。SONY α7S IIやPENTAX KPの高感度機でないとダメそうです。画像ではある程度明るそうに見えますが補正していますので、実際はヘッドライトがあってもほとんど真っ暗なのです。
江戸時代は電灯なんてありませんから灯りは、サザエの殻に菜種油を入れ、そこに火を灯したものをくぼみに置くなどして使っていたそうです。実際にガイドさんがサザエの殻を使った灯りを実演してくれました。ライトを消してサザエの灯りだけだと本当に何も見えません。この暗闇に等しい状況で採掘作業をしていたというのは驚きです。そして、この劣悪な環境では鉱夫の寿命は短く30歳まで生きられれば尾頭付きの鯛でお祝いをしたそうです。
11:50、大久保間歩から出てヘルメットや長靴を返却して、大久保間歩の更に上にある釜屋間歩へ向かいます。
釜屋間歩
12:10、釜屋間歩に到着です。大久保間歩ツアー最後の見学地になります。
備中出身の安原伝兵衛が夢のお告げで発見したといわれる釜屋間歩。慶長年間に発見され石見銀山の産出量を飛躍的に増やしました。この釜屋間歩から年間13.5トン(3500貫)の銀が産出され徳川家康に献上したそうです。発掘調査では、坑口付近の岩盤を加工した選鉱施設や階段跡が発見されました。
巨大な岩盤に掘られた小さな穴が釜屋間歩です。ここから年間13.5トン(3500貫)の銀が採掘されていたというのは驚きです。入口は小さくても内部は大きいのでしょうか?
釜屋間歩に隣接した斜面には、高さ18mの岩盤を三段のテラス状にくりぬいた巨大な遺構があり、これは2003年に発見された当時は「謎の岩盤遺構」でしたが調査研究が進み選鉱施設というのがわかってきました。遺構に多数の水路、水溜が作られており斜面上から雨水を集め、雨水を利用して比重選鉱が行われていました。
12:30、釜屋間歩から折り返してバスへ戻ります。途中で次の大久保間歩ツアーの人達とすれ違います。13:10、世界遺産センターに戻り大久保間歩ツアー終了です。
五百羅漢(羅漢寺)
世界遺産センターから路線バスで大森へ移動します。大森には五百羅漢(世界遺産)、龍源寺間歩(世界遺産)、佐毘売山神社(世界遺産)、清水谷製錬所跡、大久保石見守墓があります。路線バスは世界遺産センター~大森~大森代官所跡を30分間隔(土日祝は増発)で運行していますので便利です。
13:50、まずは羅漢寺の五百羅漢を見学、入場料は500円です。路線バスが羅漢寺の前を通るので場所はわかりやすいです。
羅漢寺から道をはさんで向かい側にあるのが五百羅漢です。銀山川に石の反り橋が架かり、岩山に3つの石窟が掘られています。この石窟に501体の羅漢像が安置されています。
五百羅漢は、江戸時代の寛保年間(1741~1743)に月海浄印が発願されました。銀山で働いて亡くなった人々の霊を供養するために25年の歳月をかけて1766年(明和3年)に完成します。
大久保石見守墓
14:15、龍源寺間歩への途中で大久保石見守墓に立ち寄ります。この墓は逆修墓(ぎゃくしゅばか)と呼ばれる自分で生前に建てた墓になります。大久保石見守長安は石見銀山の初代奉行で佐渡、甲斐、伊豆、美濃などの奉行や代官を務めており「天下の総代官」とも呼ばれた人物です。銀の産出量を増やし大きな功績を残していますが、死後に不正蓄財が発覚して7人の息子は処刑されています。
清水谷精錬所
14:30、清水谷精錬所にやってきました。明治時代に建てられた近代的な精錬所の遺構で不採算だったために操業開始からわずか1年半で閉鎖となりました。
新切間歩
14:50、新切間歩にやってきました。新切間歩は代官所直営の「御直山(おじきやま)」と呼ばれた間歩のひとつで1715年(正徳5年)に水抜き坑として掘られたようです。坑道の長さは520mになり、大森の町に一番近く、標高も低い場所にあります。
福神山間歩
15:00、福神山間歩に到着。この福神山間歩は龍源寺間歩へ続く道路脇にある坑道です。福神山間歩は「自分山」と呼ばれる採掘していた山師個人が経営していた坑道になり、一時期は代官所直営の「御直山」にもなっています。
龍源寺間歩
15:10、龍源寺間歩に到着、一般公開されている唯一の間歩で入場料は410円になります。
龍源寺間歩は、代官所直営の御直山(おじきやま)のひとつになり、永久、大久保、新切、新横相間歩とともに「五ヶ山」と呼ばれました。1715年(正徳5年)に開発された坑道で、大久保間歩に次いで長さは約600mあります。そのうち一般に公開されているのは273m(新坑道含む)で、坑道の壁面には手掘りで鉱石を採掘したノミの跡が残っています。
一般公開されていますので坑道は照明もあり、足元も平らになっており観光用の坑道として整備されています。
佐毘売山神社
15:30、佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)にやってきました。龍源寺間歩の出口から徒歩3分ほどの場所にありますが、ほとんどの観光客は古い神社程度にしか思っていないようで通り過ぎていきます。しかし、佐毘売山神社はただの古い神社ではありません。世界遺産の登録リストに記載された正真正銘の世界遺産です。
佐毘売山神社は鉱山の守り神である金山彦命を御祭神として祀り「山神社」の別名を持ち、鉱夫や村人たちからは「山神さん」とも呼ばれていました。現在の社殿は1819年(文政2年)に代官所の援助で再建されたものです。
16:20、大森のバス停近くまで戻ってきました。ここからは古い町並みを歩いて大森代官所跡へ向かいます。
16:45、大森代官所跡に到着です。代官所跡には資料館があるのですが今から見学してもすぐに閉館になってしまいますので帰ることにします。大森代官所跡のバス停から路線バスで大田市駅へ戻り、電車で出雲市へ戻ります。
石見銀山まとめ
- 路線バスが30分間隔で世界遺産センター~大森~大森代官所跡を運行している。
- 世界遺産センターが石見銀山観光の拠点。駐車場、資料館と大久保間歩ツアーの受付がある。
- 大森には五百羅漢、龍源寺間歩、古い町並みがある。
- 大久保間歩ツアーは参加する価値あり。ただし、先に龍源寺間歩を見学した方がいいです。先に大久保間歩を見学すると龍源寺間歩がものすごく小さく感じます。それだけ大久保間歩は大きいです。
- 事前の予習や計画は下記URLから散策マップをダウンロードしておくのが良いです。http://ginzan.city.ohda.lg.jp/1920.html