福井市にやってきました。福井には一乗谷朝倉氏遺跡と永平寺の二大観光地を訪れます。一乗谷朝倉氏遺跡は織田信長に滅ぼされるまで戦国時代に103年間にわたって越前国を支配した朝倉氏五代の山城や城下町の遺跡。武家屋敷・町屋・寺院など町並がほぼ完全な姿で発掘され、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。永平寺は鎌倉時代に道元禅師によって開かれ約800年の歴史を持つ曹洞宗の大本山です。
福井駅からバスで一乗谷朝倉氏遺跡と永平寺へ
福井駅東口に京福バスチケットセンターで朝倉・永平寺1日フリーきっぷ1500円を購入します。次のバスは09:20発ということなのでバスのダイヤももらって待合室で計画を建てます。
09:20発、福井駅→朝倉資料館→復元町並→永平寺行きの朝倉特急バスに乗車します。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館
15分ほどで朝倉資料館に到着します。
入場料は100円ですが、この後に復原町並(210円)も見学しますので朝倉資料館・復原町並共通券230円を購入します。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は朝倉氏の戦国城下町の繁栄を伝える出土品の展示、一乗谷の地形模型・朝倉館復原模型等の展示により遺跡と朝倉氏の歴史について紹介されています。館内は撮影禁止なので見学するだけになります。見学時間は30分ほどあれば一通り見られます。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館のすぐそばでは遺跡の発掘作業が行われております。朝倉氏の遺跡はまだまだ発掘が進んでいないようです。
10:20、朝倉資料館から復原町並へ向かいます。一乗谷朝倉氏遺跡資料館から一乗谷朝倉氏遺跡の復原町並までは徒歩30分ほどです。周辺は住宅がまばらで山と田んぼだけで何もありません。
西山光照寺跡。西山光照寺は当時隆盛を極めた天台宗真盛派の大寺院です。寺跡には石仏が残されており、池や井戸跡、建物跡といった遺構が残されています。
一乗谷朝倉氏遺跡
10:35、一乗谷朝倉氏遺跡にやってきました。一乗谷は朝倉氏が本拠を置き応仁の乱で荒廃した京から公家、高僧、学者ら多くの人々が避難してきており最盛期には1万人を超える人口を抱え北ノ京とも呼ばれるほど繁栄しました。ここは一乗谷の入口になり下城戸になります。
下城戸は一乗谷北側の狭くなった部分で土塁が築かれ敵の攻撃や侵入を防いで城内を守っていたと考えられています。
大きな石が積まれており北側の守りの要であったことが窺えます。
平面復原地区。戦国城下町の跡になり井戸や道路の跡から計画的に区画されていたことがわかります。
復元町並。入場料は210円。塀に囲まれた武家屋敷や町人の町屋が映画のセットのように再現されています。
屋敷や町屋の中は見学できるようになっており、土間や井戸、厠、作業場、店舗など、当時の様子をリアルに再現されています。
朝倉義景館跡。復元町並の東側にあるのが朝倉義景館跡になります。戦国時代は山城が基本ですので平時は館で過ごし合戦時には館の背後にある一乗谷城に籠城するといった風に館と城を使い分けていました。館跡の入口にはシンボルの唐門があります。この唐門は豊臣秀吉が寄進したと伝えられる松雲院の正門になり、松雲院は遺跡発掘時に移転して朝倉氏の菩提寺心月寺に統合されました。
館跡には建物はなく礎石などが残るだけ規則正しく並ぶ礎石から当時の屋敷の大きさが窺い知れます。
朝倉義景公墓所。館跡の一角に朝倉氏五代の朝倉義景の墓所があります。朝倉義景が織田信長に攻められ滅んだ戦国大名朝倉氏最後の当主です。
一乗谷朝倉氏遺跡には一乗谷城や足利義昭が滞在していた御所・安養寺跡など遺跡が多数あるのですが時間の都合で省略、次の永平寺へ向かいます。
曹洞宗大本山永平寺
復元町並の南出入口から11:43発、朝倉特急永平寺行きバスに乗車して、12:00、永平寺に到着です。売店や食堂が並ぶ門前町を歩いていくと永平寺が見えてきます。門前町にはコンビニはありません。
門前町から参道を歩いていくと通用門に到着します。この通用門が参拝者の入口になります。
永平寺の拝観料は500円になります。永平寺は寛見2年(1244)に曹洞宗の道元禅師により開かれた坐禅修行の道場になります。
山間の中で樹齢600年を越える杉の巨木に囲まれ、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの「七堂伽藍」など、修行の場となる70余棟の建物が静かにたたずんでおり俗世から離れた世界が広がっています。
参拝者は多いのですが境内は静かで鳥とセミの鳴き声が響いています。
廊下を歩き参拝順路を進みますが徹底した掃除がされており毎日僧侶たちが雑巾掛けしているのでしょうか?
古そうな板木がありますが毎日鳴らしているのでしょうか?削れて叩いている部分だけ色が元のままです。
奥深い山の中にある大本山である寺院の規模から荘厳な空気が流れています。
14:35、朝倉特急のバスに乗車して福井駅東口へ戻ります。
北ノ庄城跡・柴田神社
15:30、福井駅から10分ほどの北ノ庄城跡の柴田神社にやってきました。
この柴田神社は柴田勝家の北ノ庄城跡に建てられ柴田勝家を祀っています。北ノ庄城は織田信長が朝倉氏を滅ぼした後に柴田勝家が朝倉氏の一乗谷に変わる越前の中心地として北ノ庄城を築城しています。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた後、羽柴秀吉と対立、信長の妹・お市の方を娶りますが賤ヶ岳の戦いで敗北し北ノ庄城で自刃しています。
柴田神社には柴田勝家像があります。
お市の像や茶々、初、江の三姉妹像もあります。
柴田神社ですので絵馬は瓶割り柴田の逸話がデザインされています。
瓶割り柴田
1570年(元亀元年)南近江に侵攻した織田信長は六角承禎の長光寺城を攻め落とし柴田勝家が長光寺城に入城します。城を奪われた六角承禎は長光寺城を奪還すべく大軍で攻め寄せい包囲し、柴田勝家は籠城して耐えます。しかし、その間に水路を絶たれ窮地に追い込まれた勝家は味方に瓶の中の水を飲ませた後、瓶を割って自ら追い込み奮起させ六角軍を打ち破った。