飛騨高山観光2日目は戦国時代の山城・松倉城址、白川郷へ行かなくても合掌造りなどの古民家が楽しめる飛騨の里、飛騨一宮水無神社を訪れます。
三木頼綱が築城した松倉城址
早朝からホステルを出て松倉城址へ向かいます。まだ06:30過ぎですので外は人の気配がありません。たまに車が通るぐらいです。松倉城址のある松倉山(856.7m)は高山駅から南西へ2.5kmほどの場所にあり、松倉山山頂が松倉城本丸跡になります。陸橋を通り高山線の線路を越えていきます。高山線は非電化区間ですので架線が無く列車撮影には非常に良い条件ですが、唯一の欠点は列車の運行本数が少ないという点です。
07:20、飛騨の里近くから松倉山山頂へ続く松倉遊歩道へ入ります。遊歩道を歩いて松倉山を登っていきます。
松倉城まで残り250mの所まで来ました。
しかし、遊歩道には「クマ注意」の看板があります。ここも熊の生息地域です。
遊歩道を登っていくと松倉城に到着します。ちょうどここは堀切になり尾根沿いに作られた空堀の跡になります。
さらに進むと石垣が見えてきました。この辺りは搦手門跡になります。
07:45、松倉城本丸跡の松倉山山頂856.7mに到着です。
本丸跡には「史跡松倉城址」の石碑があり飛騨市内が一望できます。
松倉城は天正7年(1579)に姉小路頼綱(三木自綱)が松倉山に築城した山城です。松倉城を夏城として使用され、冬になると元々居城であった桜洞城へ移り住んでいた。姉小路頼綱は天正10年(1582)、八日町の戦いで江馬輝盛を討ち破り、鍋山城主の実弟・三木顕綱、高堂城主の広瀬宗域らを討ち取り飛騨を平定します。
本能寺の変後に越中の佐々成政に味方して羽柴秀吉に従わなかったために天正13年(1585年)、秀吉の命により金森長近・可重父子が飛騨の南北両面から進攻、姉小路頼綱は高堂城・広瀬城に籠城し、次男の姉小路秀綱に松倉城を守らせたが、高堂城・広瀬城は落城し姉小路頼綱は降伏します。後に松倉城も落城し、金森長近が飛騨国主となり高山城を築城すると松倉城は廃城されます。
姉小路頼綱(三木自綱)といえば歴史シミュレーションゲームの「信長の野望」では弱小大名で登場するのですが、弱小大名でもこれだけの山城を築城しています。
外国人にも大人気!合掌造りなどの古民家が集まる「飛騨の里」
08:50、松倉城の麓にある飛騨の里まで戻ってきました。飛騨の里は08:30から開園ですのでちょうど始まったところですので見ていきます。入場料は700円になります。
飛騨の里は飛騨地域の古民家などを移築して昔ながらの日本の風景を再現しており多くの建物は岐阜県重要文化財、国指定重要文化財になっており、白川郷の合掌造り民俗園のような屋外博物館になります。ロンリープラネットには「Hida Folk Village」で紹介されており外国人観光客が多く訪れる高山の観光地のひとつでもあります。
旧中藪家
元所在地:岐阜県高山市一之宮町山下(旧大野郡久々野郷宮村)
建築年代:江戸時代中期
岐阜県指定重要文化財
旧中藪家は、囲炉裏が土間のままになっているのが特徴です。これは「土座形式」と呼ばれ、江戸時代中期以前の古い形式になります。屋根が板葺きになっているのも特徴です。
国指定重要文化財・旧若山家
元所在地:岐阜県高山市荘川町大字下滝(旧大野郡荘川村下瀧)
建築年代:寛政9年(1797)
国指定重要文化財
合掌造り集落の白川郷に隣接する荘川村北部に建っていたため、両地区の民家の特徴を併せ持つ建物です。白川郷は切妻合掌造りの屋根が特徴ですが、荘川は荘川造りと呼ばれる鼻小屋のついた寄せ棟・入母屋造りが特徴です。
若山家は荘川唯一の外観が白川郷の切妻合掌造り、小屋組が荘川式寄せ棟造りの構造になっています。間取りは一階に「おえ」「だいどこ」「ちょうだ」「なかのでい」「すえのでい」「うまや」「えんげ」などがあり、中二階も居室に当てられています。
国指定重要文化財・旧田中家
元所在地:岐阜県高山市冬頭町(旧大野郡灘郷冬頭村)
建築年代:元禄年間
国指定重要文化財
飛騨の国学者・田中大秀が文化年間(1800年頃)大野郡三枝郷中切村(現高山市中切町)から移築して後に庶子を住まわしたといわれています。
国指定重要文化財・旧田口家
元所在地:岐阜県下呂市金山町卯野原(旧益田郡東村卯野原)
建築年代:文化6年(1809)
国指定重要文化財
田口家は代々庄屋を務めた家になり、1809年(文化6年)に建てられました。桁行25.5m、梁間13.3mという大きな家で、集会所として使用できるように部屋数も多く囲炉裏を3つ設けています。
国指定重要文化財・旧吉真家
元所在地:岐阜県飛騨市河合町角川(旧吉城郡小鷹狩郷角川村)
建築年代:不明
国指定重要文化財
1858年(安政5年)の角川地震により殆どの民家が全開した中、約1m前方へ滑り梁が1本折れただけで崩壊を免れたこの家を小鷹狩郷保村から購入して移築したといわれ建物にある傷跡は解体した材木を川で流して運んだ時の鳶口の跡です。
飛騨東照宮
12:30、飛騨の里から30分ほど歩いて、飛騨東照宮にやってきました。松倉城のある松倉山北東の麓に飛騨東照宮があります。
長い石段を息を切らせながら登ります。
石段を登りきると飛騨東照宮の唐門が見えます。唐門の奥に本殿があります。
1619年(元和5年)飛騨高山藩第3代藩主 金森重頼により高山城内に東照権現社が建立されたのが飛騨東照宮の始まりになります。1628年(寛永5年)に西之一色村へ遷座、1818年(文化15年)に現在の場所に遷座しました。
唐門の前にある賽銭箱に葵の御紋があり東照宮だというのがわかります。
金龍神社
飛騨東照宮の一角にあるのが、1818年(文化15年)に建立された飛騨高山藩初代藩主 金森長近を祀る神社です。金森長近は織田信長に仕えましたが、本能寺の変後に豊臣秀吉に仕え飛騨の三木氏を滅ぼし飛騨国主として高山の基礎を築きました。
高山ラーメン
13:00、高山駅まで戻ってきました。次は飛騨一ノ宮水無神社へ向かいますが、飛騨一ノ宮への路線バスが14:05発になり1時間ほど時間がありますので昼食に高山ラーメンを食べに行きます。高山駅前に駅弁の牛しぐれ寿司を作る金亀館の店舗があり、こちらでも高山ラーメンが食べられます。
高山ラーメン650円、麺は極細ちぢれ麺、具材にチャーシュー、タマゴ、ワカメ、メンマ、かまぼこ、スープはあっさり醤油になります。
飛騨一ノ宮水無神社
高山駅前の高山濃飛バスセンターから14:05発、下呂バスセンター行きのバスに乗車します。
飛騨一ノ宮まで運賃250円になり、券売機で乗車券を購入します。バスに乗車して15分ほどで飛騨一ノ宮に到着です。
バスを降りて100mほど歩くと飛騨一宮水無神社に到着です。
飛騨一宮水無神社は創建時期は不明ですが平安時代867年(貞観9年)に従五位上の神階を授けられた記録が残っています。戦国時代に松倉城主の姉小路頼綱(三木自綱)が金森長近に滅ばされると姻戚関係にあった水無神社は衰退しますが、1607年(慶長12年)飛騨高山藩主になった金森長近により社殿造営が行われ再興されます。その後は歴代藩主、代官、郡代により保護されてきました。
飛騨一宮を名乗るだけのことはあり広い境内に立派な社殿があります。
この広い境内に観光客は少なめで1人でゆっくりと見て回れます。
奥に見えるのが本殿になります。
臥龍桜(真夏で葉桜)
飛騨一ノ宮駅にやってきました。高山行き普通列車の到着まで15分ほどありますので臥龍桜を見てきます。
飛騨一ノ宮駅の裏にあるのが臥龍桜です。真夏ですから葉桜ですが春先には桜が咲き多くの観光客が訪れます。
飛騨一ノ宮から高山までの運賃は210円、ワンマン運転ですので乗車時に整理券を取って終点の高山駅の改札口で精算します。今日の飛騨高山観光は終わり、明日が飛騨高山観光最終日になります。